演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

第5回記念定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

1998年7月19日(日) サントリーホール 指揮/神宮 章 ソプラノ/矢島瑪紅美 アルト/森山京子 テノール/井ノ上了吏 バリトン/鹿野章人
合唱/日立ファミリー混声合唱団 合唱指揮/木村義昭

ウォルトン:戴冠行進曲「クラウン・インペリアル」 (原典版)

サー・ウィリアム・ウォルトン(1902-1983)は20世紀イギリスを代表する作曲家の一人である。
近代イギリスの音楽は、弦楽合奏の柔らかい音色を駆使したイギリス民謡を素材とする旋律や、軍楽隊を鳴り響かせる重厚な響きを掛け合わせた、民族主義の色彩が濃いものが多い。そのような中で、朗読と室内楽のための作品「ファサード」を発表、世界に先駆けてジャズやポピュラー音楽を大胆にクラシック音楽に取り入れてセンセーショナルなデビューを果たしたのがウォルトンである。1922年、20歳のときのことであった。ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」が1929年、ワイルの「三文オペラ」が1928年、ミヨーの「世界の創造」が1923年であることから見ても、彼の音楽がどれほどの反響を巻き起こしたか想像できよう。その後もオラトリオ「ベルシャザール王の饗宴」や交響曲第1番などを発表、新鮮なハーモニーやリズムに磨きをかける一方で、映画音楽も次々に担当するなど大衆的な要素を失わなかった。

「クラウンインペリアル」は、1937年のジョージ6世の即位に際してBBC放送がウォルトンに委嘱した行進曲であり、「戴冠行進曲」の副題がつけられている。スコアの冒頭には、「クラウンインペリアル」は中世イギリスの詩人W.ダンバーの詩の一節から取った言葉であると書かれているが、シェークスピアの戯曲「ヘンリー5世」にも同じ言葉が見られる。邦訳するとすれば「大英帝国の王冠」といったところであろうか。 弦楽器の奏でるリズミカルな第1主題と管楽器が歌う第2主題が交錯しながら曲は盛り上がっていく。中間部の旋律はいかにもイギリス好みであり、愛国心をくすぐっている。再び最初の主題に戻り、最後はオルガンを伴った管楽器の壮大な響きの中に幕を閉じる。このスタイルは4年前に他界していた大作曲家エルガーの「威風堂々第1番」とほぼ同じものであり、「第2の国歌」ともいわれている作品を連想させることで戴冠行進曲の威厳を高めている。また同時に、ウォルトンらしいリズムときらびやかな金管楽器の響きが新国王即位の祝典の喜びを謳歌している。ちなみにエリザベス2世即位の際の戴冠行進曲も政府の依頼でウォルトンが作曲しており、エルガー亡き後の英国民族主義音楽の旗手としての地位を確立していったことが伺える。

この曲は作曲者が冗長と感じたのか、1963年に作曲者自身が一部をカットした版が出版されている。昨今CDで聴く事ができるのはカット版が殆どであるが、中間部に至るまでの構成や、フィナーレの壮大さはオリジナル版のほうが優れていると考え、オリジナル版を演奏する。

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」
ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)は主にウィーンで活動したドイツの作曲家である。古典派末期に現われロマン派音楽の先駆となり、9つの交響曲や歌劇「フィデリオ」の外、「荘厳ミサ」、ソナタ・弦楽4重奏などの不朽の傑作を多く遺した。ハイドン・モーツァルトの影響下にある初期からベートーヴェン様式を確立した中期を経て、晩年には聴覚を失いつつも極めて深い境地に達した後期に発展していく。

交響曲第9番はプロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世に献呈された。第4楽章に声楽を加えたため「合唱付交響曲」と通称される。器楽と声楽の統合された作品を意図した後期の傑作で、交響曲に声楽を用いたこと自体異例のことであり、全人類の理想を謳った歌詞とともに、ベートーヴェンの音楽性の極致を示すものとされる。(岩波書店「広辞苑」・三省堂「クラシック音楽作品名辞典」より抜粋)

本日の演奏は「ベーレンライター版」の楽譜に手を加えたものを演奏する。日本の古典において伝本によって内容や解釈が異なるのと同様、クラシック音楽の楽譜の世界においても出版社の校訂により強弱やフレーズ、音の高低、極端な場合旋律までに違いが出てくる。「そんなバカな。オリジナルの楽譜が残っていれば版は一つしか無いじゃないの」とお思いだろうがそうでもない。写譜屋が写し間違ってそのまま流布したり、第1稿を出版社に提出した後に修正を加えたり、後世の者が様式を一致させるために修正したりと、さまざまな恣意が加わる中で、徐々に変化が生じる場合がある(ブルックナーやマーラーは極端な例)。ハイドンやモーツァルトは、オリジナルの楽譜が残っていないものが多いが、学者の研究により「校訂版」が出版されている。

ところがベートーヴェンは意外にも19世紀末に全集が出版されて以降、誰も手を付けずに在った(音を加えて劇的効果を高めることは多々在ったが)。しかし昨今のクラシック界における「オリジナル回帰症候群」は、その聖域についにメスを入れた。「ベーレンライター版」はオリジナルの研究に基づきごく最近出版されたもので、現存する自筆の楽譜やその後出版された楽譜を比較検討して作成されている。所々意外な音に出くわしたり、テンポ設定が従来のものと異なり違和感を覚える一方で、それまで解決しなかった音楽的矛盾に一つの結論を出す点で評価されている。ところが指揮者の神宮氏は、更に自筆譜を検証し、2個所の修正を加えている。これは学術的には早期の段階で現在の形に修正されたと考えられているところだが、神宮氏は「既に耳が聞こえていないベートーベンが想念の世界で考えていた音を現実のものにしたい」と強く切望した。従来版とベーレンライター版の違いを詳細に述べると1冊の本が出来上がるので、今回の演奏で特徴的なところのみ列挙する。

(1)「第1楽章」:第2主題提示部で、フルート・オーボエが従来「F(ファ)-Bb(シ)」と吹いていたところが、「F(ファ)-D(レ)」となっている。これは、自筆の楽譜に合わせたものだが、CDで聴き慣れた音とは明らかに違う。

(2)「第1楽章」:第1主題の再現部では、チェロとコントラバスが、F(ファ)#の3オクターブを4小節間で昇降するのだが、元々ベートーベンはF(ファ)#の3オクターブをシンコペーションで往復させているのである。更にコントラバスには13小節主題を弾いた後D(レ)の音を同じ要領で昇降させる試練が待っている。ここは管楽器の全奏とティンパニのトレモロに掻き消されてしまいそうなので作曲者が初期の段階で現在の楽譜に改訂されたと思われるが、「想念の世界」再現のためにベーレンライターの楽譜を修正して敢行することにした。

(3)「第2楽章」:トリオの2回目の頂上部でヴァイオリンが管楽器と同じ動きをせずにD(レ)を8小節弾き伸ばす。1回目の頂上部でリズムを鮮明にさせながら、ここでヴァイオリンが単純に音を伸ばすと、それまで刻んだリズムが腰砕けになった錯覚に陥る。しかし、「逆に無重力空間のような広大な世界に投げ出された感じ(神宮氏)」を出すことによって、再び冒頭の部分に回帰するきっかけを作っているようにも思える。これも初期に改訂されたところを今回「復活」した部分である。

(4)「第4楽章」:「百見は一聞に如かず」だが、テンポ設定がユニークである。通常はゆっくりなところ(たとえばトルコマーチの部分)が漫画チックなまでに早く、また、早いところ(たとえば合唱と管弦楽の2重フーガ)がゆっくりといった具合で、「第9」を何度も演奏したことのある団員達でさえ、初めての合奏練習では唖然としてしまったほどである。これは歌詞に重きを置いたテンポ設定のためで、有名な”喜びよ、美しき神々の輝きよ”の部分、”抱き合え、億万の人々よ、全世界にこのくちづけを”の部分テンポをそれぞれ統一し、且つその2つの歌詞が2重フーガとなるところでは全人類の理想を謳歌する後者のテンポを優先するのである。ベートーベンの理想を中心にする解釈で、それまで指揮者が悩んでいた矛盾が解けるテンポ設定である。

(5)「第4楽章」:合唱が“喜びよ、美しき神々の輝きよ”を盛大に謳う直前のホルンのリズムが自筆の楽譜に基づき不規則なシンコペーションリズムとなっている。これも普段聴きなれた音とは違う部所である。

以上「あまりに専門的でさっぱりわからない」内容かもしれないと思いつつ、1824年の初演以来以来約170年ぶりに再現しようとする「ベートーベンが思っていた(であろう)音」について解説させて頂いた。ベートーベンを最高の作曲家と仰ぐ指揮者神宮氏が強くこだわりを持って臨んだ「第9」の一端を多少なりともご理解戴ければ幸いである。

(Vc 中村晋吾)

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