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第10回記念定期演奏会
2001年2月4日(日) サントリーホール

指揮/神宮 章
ソプラノ/佐藤ひさら アルト/森山京子
合唱/日立コールファミリエ
合唱指揮/木村義昭

グリーグ
「ホルベルグ組曲」 作品40

マーラー
交響曲第2番 ハ短調 「復活」

演奏会ちらし


グリーグ:「ホルベルグ組曲」 作品40

Suite"Fra Holbergs Tid"は、グリーグ(Edvard Hegerup Grieg 1843-1907)によって1884年から翌85年にかけてピアノ独奏曲として作曲され、後にグリーグ自身の手により弦楽合奏用に編曲されている。通称「ホルベルグ組曲」と呼ばれているこの曲は、ノルウェイ生まれの劇作家であったホルベア男爵(John Luvig Holberg 1684-1754)の生誕200年祭のために書かれた。曲の形式はホルベアの生きた時代の古い形式によっているとのことで、前奏曲(Prelude)に始まり、サラバンド(Sarabande)、ガヴォット(Gavotte)、アリア(Aria)、リゴードン(Rigaudon)の全5曲で構成されている。

さて、我が日立フィルでグリーグの作品を演奏するのは、前回の「ペール・ギュント」組曲に引き続いて2曲目である。当オーケストラ発足から早5年。本日の出演メンバー表をご覧になっていただけば、弦楽器パートが非常に充実した人数を有しているのがお分かりいただけるかと思う。これだけの人数、しかも個性豊かな面々を従えて弦楽合奏をやろうというのであるから、コンサートマスターをはじめ、各トップ奏者達の苦労は並大抵なものではなかったと思われる(多分)。 今回はサントリーホールという大舞台での弦楽のみの演奏。音楽は時間芸術、当日その場で蓋を開いてみなければ、何が飛び出すかはわからない。会場の皆様にも、神宮氏と日立フィルとで創り出す音のマジックボックスを一緒に楽しんでいただければ幸いである。 最後に...リゴードンのヴァイオリンソロと、ちょっと珍しいヴィオラソロのセッションもお聴きのがしの無きよう!

(Va 佐田知子)

 

マーラー:交響曲第2番 ハ短調 「復活」

マーラー曰く、「交響曲は世界全体を統括しなければならない」 彼の交響曲第一番は最初、ジャン・パウルの長編小説にちなんで「巨人」と名付けられ、「2つの部分と5つの楽章からなる交響詩」という言葉が添えられていた。 交響曲第2番もまた交響詩となるべくして書き始められた。ただし、単一楽章の交響詩として、である。一曲の交響詩であるはずだった現在の第1楽章には「Totenfeier(葬送の儀式)」というタイトルが付けられた。

完成された交響曲第2番は次のように要約される。「心理的なムードの流れを象徴的に描写するように計画されている―第1楽章では、死の無限の力に対する怒りの感覚を、Andanteでは、人生の幸福のはかなさに対する心の離れ得ぬ思いを、Scherzoでは、単調で目標の無い平凡な毎日に対する嫌気、『Urlicht(原光)』では、神への信仰に立ち返る様を、そしてフィナーレでは、復活と永遠の命を信じる様を描いている。」

―I Allegro maestoso―
第1楽章は、葬送行進曲の性格をもっているが、テンポは幾分速めである。さらに、通常、葬送行進曲においては壮大な悲しみが表現されるが、この楽章の場合は溢れんばかりの怒り、嫌悪、凄まじい絶望感が描かれている。冒頭のレチタティーヴォには「ワルキューレ」のような感触があり、その後の牧歌的な部分には「ジークフリートの牧歌」のようなものが、ノクターンのような流れの中にはシューベルト作品や「カルメン」にすら見られるようなドラマチックな一面が感じられる。マーラーは、リストやベルリオーズに倣ってカソリックの単声聖歌「怒りの日」を採用しているが、それはプロテスタントのコラールのように改造され、悪魔のようなクレシェンドと悲痛なクライマックスが現れている。

―U Andante Moderato―
「Totenfeier」を書いた5年後の1893年夏、山間の静養地シュタインバッハ・アム・アッターゼーで過ごしたマーラーはそこで、第2楽章、第3楽章を作曲した。変イ調のAndanteは、グルックの「オルフェウス」にあるエリジオンのフルートのような旋律にはじまり、夢のように美しいレントラーが現れる。たった一度だけ第1楽章の怒りの表現が再起してムードを壊されることを別にすれば、この部分は束の間の「満ち足りた気分」なのである。この部分はマーラーの「若い頃の悲しい思い出、そして、失われた純心」という言葉によって壮大な姿に変貌していく。

―V Scherzo―
Scherzoは、第1楽章の調性、ハ短調に戻って、ティンパニによる軍隊の「整列」の合図で始まる。ここで彼は、彼の説明するところの「人生の苦しみの光景」を表すために、速めのレントラーのリズムを採用している。それに、奇妙な水の連続した動きを伴いながら、「子供の不思議な角笛」の風刺的な歌「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」のメロディが加わっていく。最後にシューマンの「詩人の恋」のメロディが現れる間にブルックナーのScherzo(交響曲第4番のトリオ)のテーマがクラリネットで風刺されて壮大なエンディングを迎える。

―W Urlicht―
第3楽章の壮大なエンディングの後には、一瞬の休みもなく、正反対のものが続く。変ニ調の神聖なコラールを導くアルトの美しい歌声である。「私は大きな音楽の絵を心に思い浮かべるとき、私の音楽のイデアの使者である『言葉』を用いなければならないと考える。『Urlicht』では、神に対する人の魂の疑問やもがき、同時に人の魂の神性と実在が前面に押し出されている。」とマーラーは述べている。最後に「永遠の、この上なく幸せな人生」という説明があり、器楽による「アーメン」の唱和のような4つの音が奏されるところで、2人のヴァイオリン・ソロが人の魂の疑問に一層の悲しみを投げかける。

―X―
「第1楽章が物語的であるのに対し、第5楽章は全く劇的である。ここでは、全てが『動き』と『発生』である。この楽章はScherzoの終わりの部分と同じ凄まじい死の叫びで始まる。そして、恐ろしい問い掛けの後には『救い』という答えがやってくる。まず、信仰と教会を思い描いてみる。−審判の日、大地は大きく揺れる。この恐ろしい出来事のクライマックスはドラムの連打、しめくくりはトランペットである。すると、墓が突然壊れるように開き、全ての生き物が呻き、震えながら地上にもがき出てくる。そして、彼らは力強く行進を始める−金持ち、貧乏人、小作、王、司教や教皇、教会の人全て、皆だ。皆に同じ恐怖がある。皆が同じように叫び、震えている。何故ならば、神の目に公明正大な人間に映る者など一人もいないからだ、すると、あたかも別の世から響いてくるように、また、あのトランペットの音が聞こえてくる。そして、彼らが墓を去り、大地が静まり、誰もいなくなると、鳥の死ぬ長いひきつけた声だけが聞こえてくる。しかし、それも終には消える。さて、ここで思いもよらなかった展開―神の審判もない、祝福も、天罰も、善も悪も、裁き人もいないのだ。そこに、柔らかで誠実な言葉が湧き出てくる―『蘇る、そう蘇るだろう。わが塵なるものはわずかな憩いをすませたならば!』」

(Vn 芦田修)


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