演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

18回定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2005年1月22日(土) 東京文化会館 指揮/武藤 英明

グリンカ歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

親愛なるベルリオーズ様
ようやくロシア音楽の方向が見えてきました。パリでのひと時は生涯忘れられないものとなるでしょう・・・恩人ベルリオーズ宛の手紙の上を走らせた地方貴族の紋章が刻まれた羽根ペンをとめ、ふっと溜息をつくと漆黒のピアノに映ったミハエルの顔が曇る。
「なんと野暮ったい音楽なのかね。」
「やはりオペラはイタリア語ですわ。」
聴衆は、英雄ルスランが、さらわれた大公の娘リュドミラ姫と祖国を救うという、文豪プーシキンが詩で著した、キエフ公国の歴史的な民話ですらイタリアオペラを望んだのだ。
ブテルクブルク貴族学校を出て役人をしていたミハエルは、突然西洋音楽を学ぶためヨーロッパへと旅立った。「私は、祖国ロシアの民族音楽が何より大切であることがわかった。」そうこの作品にこめたが、受け入れられなかったことは純粋で繊細なミハエルを打ちのめした。
「ミハエル。君はロシア音楽の礎となる様子が視えるよ。」祖国を逃げ出したミハエルは、パリ郊外で危険な煙を吐き出すベルリオーズの幻想に、引き込まれそうになる誘惑を「その・・・タバコは止した方がいい。」と払いのけた。
「音楽を創造するのは民族であって私はそれを紡ぐだけだ。魂で歌うのだ。」ミハエルの甲高い声が練習ホールに響く。ロシア民族の血を奮い立たせやり直すことを決めたミハエルの心を邪魔するものは何も無くなっていた。
タクトを置くと聴衆の大喝采に目先が曇る。
「先生。大丈夫ですか?」
そう心配そうに握手をする華麗なヴァイオン奏者はニーシャといっただろうか。客席を見るとぼんやりとした光の中にエクトールが座っていた。
「いらしていたのですか?」
「ああ、この楽団は去年私の・・幻想を演奏してくれたのだ。」
「さ、そろそろ行きませんとね先生方」
隣の黒服の男が急き立てた。
馬車はウエノを後にした。

(Timpani 砂田)

ストラヴィンスキーバレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)

ストラヴィンスキー28歳のデビュー作。1910年の初演の成功により彼は一躍スターとなった。作曲者自身による三種類の組曲があり、本日演奏する1919年版が最も多く演奏されている。この曲は手塚治虫にインスピレーションを与えたと言われており、同名の傑作漫画を生み出すこととなった。優れた芸術作品がさらに次々と作品を生み出していく連鎖は、まさに火の鳥=永遠の生命のようである。
バレエの物語はロシアの民話に基づいている。
狩に出た王子イワンが森の奥深くに迷い込み、不思議な火の鳥に1本の羽根を貰う。蠢くような低弦の動きや、トロンボーン・木管が深い森の不気味な雰囲気を表す『序曲』。突然、オーケストラのトレモロと素早い全奏となる『火の鳥の出現と踊り』。クラリネットの半音階が思わせぶりに途切れた後、木管楽器や弦楽器が目くるめくようなパッセージを次々に奏でる『火の鳥のヴァリアシオン(ソロの踊り)』。七色に変わる羽根や、翼の優雅で素早い動きがありありと表現されている。
森の中の城門から13人の美しい王女たちが現れ戯れる。ハープに乗せオーボエがゆったりとしたホロヴォード(ロシアの輪舞曲)を奏でる『王女たちのロンド』。イワンはひと際美しい王女(ツァレーヴナ姫)に魅せられるが、王女は自分たちが魔王カスチェイの囚われの身であると告げ、夜明けと共に城に戻る。魔王カスチェイが現われイワンを魔法で石に変えようとするが、イワンが火の鳥の羽根を振ると、火の鳥が飛んできて魔物たちを踊り狂わせる。突然の全奏の一撃に続き、激しいリズムと音の洪水が荒れ狂う『魔王カスチェイの凶悪な踊り』。斬新な管弦楽の響きはストラヴィンスキーの本領発揮の場である。
やがて魔物たちは踊り疲れて倒れ、火の鳥が子守唄を歌って眠らせる『子守唄』。ファゴットが奏でる鄙びたメロディーが印象的である。イワンが魔王の生命が秘められた卵を割ると魔法が解ける。弦楽器の静かなトレモロの中からホルンが静かに平和の訪れを告げる『終曲』。ホルンの一音が音空間を見事に転換させてしまうさまは、まさに管弦楽法の妙である。やがてオーケストラの華麗な全奏となり、一同の喜びの中イワン王子とツァレーヴナ姫が結ばれる。火の鳥は彼方に飛び去って行く。

(Fl.庄子 聡)

ドヴォルジャーク交響曲第9番 ホ短調「新世界より」作品95

筆者が中学生のころ、新世界交響曲の終楽章でただ一度だけ鳴らされるシンバルを題材としたテレビドラマを観たことがある。フランキー堺演ずる打楽器奏者である主人公が、こともあろうに演奏会の本番でこのたった一回を叩き忘れてしまうのだ。なにぶん30年も前のことなので、くわしいストーリーは全く覚えていないが、見事な演出によって、本番中にミスする瞬間の冷水をあびせられたような感覚があますことなく映像化され、そのシーンだけはいまだに脳裏に焼きついている。
ドラマでは、主人公がオーケストラの合奏に不慣れであったという設定だったようだが、実は打楽器の名手といわれる人でもそんな失敗をやらかすことがあるという。打楽器界の大御所と称される某氏の若かりしころ、九州は鹿児島の演奏旅行の本番で「新世界」のシンバルを担当したところ、前夜に饗されたやかんからなみなみと注がれてくる芋焼酎が功を奏したか、演奏がはじまるや程なく瞑想の境地に陥り、ようやく覚醒して正気に戻ったときには、熱狂的な拍手に応えるべく聴衆に向かってお辞儀をしている指揮者の姿が視界にあったとのことだが、真偽のほどは定かではない。
さて、交響曲の副題となっている「新世界」とは、無論作曲当時のヨーロッパから見たアメリカを指す。ドヴォルジャークは、1892年51歳の誕生日を迎えたばかりの9月に故郷を離れ遠くニューヨークのナショナル音楽院院長に着任する。学長であるジャネット・サーバー夫人による招聘を初めは固辞した彼を最終的に受諾させたのは、前職であるプラハ音楽院教授の30倍ともいわれる破格の高給の提示であった。早速翌年1月から新作交響曲の作曲にとりかかったが、これは新世界の地で接した黒人の音楽から受けた霊感によるところが大きい。新聞記者のインタビューに答えて黒人霊歌を賛美する発言をしたことで、南北戦争の記憶もまだ生々しい当時大変な物議をかもしたこともあった。同年12月ニューヨークフィルによるカーネギーホールでの初演は空前の大成功であったにもかかわらず、折悪しくもその年に米国を襲った記録的な金融恐慌の煽りをうけ財政難に陥った音楽院からは、満足な報酬が支払われなかったという。しかし、捨てる神あればなんとやらで、ベルリンの楽譜出版人ジムロックがいちはやく同曲の成功を聞きつけ、作曲者のほぼ言い値で出版権を買い取り、ヨーロッパで出版した。そして瞬く間に名曲中の名曲として交響曲の最高峰の座を獲得し現在に至っていることはご存知の通り。
なお最近の研究では、ドヴォルジャークは新世界交響曲の作曲中、いわゆる広場恐怖症(信頼できる人が回りにいない場所に行くことに対して恐怖を感じる。)に悩まされていたことがわかっている。自作の管弦楽曲を多く初演してきたドヴォルジャークが、この作品に限っては同僚のアントン・ザイドルに指揮を委ねざるを得なかったのも精神の不安定を憂慮してのことだった。音楽の中でときおりよぎる孤独感が異国の地における望郷の念を表現しているというのが通説であるが、意外とそのようなメンタルな障害が翳を落としているのかもしれない。

(Perc.桑原 崇)

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