演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

21定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2006年7月8日(土) 東京芸術劇場 指揮/新田 ユリ

ブラームス交響曲第2番ニ長調作品73

ヨハネス・ブラームスはその生涯で4曲の交響曲を作曲しているが、第1番(ハ短調 作品68)が43歳の時に発表され、第4番(ホ短調 作品98)が52歳の時と、いずれも彼の作曲家としての後半生のいわば創作力の充実した時代に書かれている。
本日演奏する第2番は20年余の歳月をかけて完成された第1番が書かれた翌年、1877年にオーストリア南部、ヴェルター湖畔の避暑地ペルチャッハで僅か4ケ月足らずで一気に書き下ろされた。ブラームスは性格的に正反対の曲を書くことがあると言われ、この第2交響曲と第1交響曲もそのように言われている。重厚で厳格な第1番に対して、柔和で温和な第2番は避暑地に降り注ぐ明るい光を感じさせる。
筆者が初めてブラームスの交響曲の演奏に触れたのは高校生の頃、BBC響の生演奏による第1番であった。スコアを眺めながらレコードを繰返し聴いて勉強しても、冒頭から重厚な進行に圧倒されてなかなかブラームスに溶け込むことができなかったように記憶している。もし初めに今日演奏する第2番を聴いていたならば、もっと違った印象でブラームスと接することができたのでは、と今でも思うことがある。
曲は4楽章からなり、それぞれが明るい長調で書かれている。
第1楽章:短い低弦の導入の後に奏でられる柔らかなホルンの響きは、アルプスを望む美しい光景を思わせる。
第2楽章:チェロによる優雅なメロディで静かに始まり、転調を重ねて様々な表情を見せる、美しく寂しげな楽章。
第3楽章:オーボエによる舞曲風の旋律で始まり、軽快に進んでいく。初演当時はアンコールでも演奏されたという。
第4楽章:弦全体によるもの静かな主題に始まり、金管セクションによる力強いファンファーレで締めくくる。

(Va.平野 義彦)

ブラームス/シェーンベルク編曲ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25(管弦楽版)

ブラームスの室内楽曲を現代音楽の開祖シェーンベルクが管弦楽にアレンジした。それだけでもマニア心をくすぐられる。早速CDを入手、試聴してみると、そこに聴かれるのは、我が物顔で主旋律を歌い上げる金管楽器、合奏体から突如遊離する弦楽器のソロ、甲高い音色の小クラリネットに、賑々しくも過剰な打楽器、どれをとってもブラームス自身の書法からはかけ離れている。ブラームス本人が聴いたらなんと感じるであろう?何気なくジャケットの解説に目を落とすと、シェーンベルク自身の語った言葉が掲載されている。「編曲にあたっては、ブラームス本人がおこなうであろうこと以上のことはしないように心がけた」とのこと!?
ブラームスのピアノ四重奏曲第1番は、1861年に作曲された。作曲者が28歳、創作にも成熟がみられるようになった時期の作品である。それから76年経過した1937年、ナチスから逃れてアメリカに移住したシェーンベルクがこの作品を管弦楽にアレンジした。後期ロマン派から無調音楽、それをさらにつきつめた十二音技法の考案と、前衛の最先端をひた走りに走ってきたシェーンベルクだったが、この時期にいたってちょっと一息と、調性をもつ回帰的な作品も手がけている。このアレンジもそんなころの仕事である。
第1楽章:不安な感じを基調に、ときおり情熱がほとばしる。この楽章では、いくつかの和声的、様式的な冒険が試みられており、そういったところに、常に革新でありつづけたシェーンベルクが共鳴したのであろう。経過的な部分で、特異な楽器法による掛け合いが聴かれ、あたかもシェーンベルク自身の作品を聴くような錯覚に陥る。
第2楽章:暗く神秘的なスケルツォ、トリオでは一転、軽やかに華やいだ気分になる。エンハーモニックを多用して調号の多い調性の間をうつろい、数十年後の無調音楽が遠い延長線上に垣間見える。シェーンベルクはスケルツォではいくぶん控えめなアレンジを心がけ、トリオにおいて独特の室内楽的な楽器法により緻密な響きを作る。
第3楽章:前半楽章とは対照的に輝かしく賛歌を思わせる音楽。さらに気分が盛り上がってきた頂点で唐突に行進曲風の音楽に切り替わる。この部分ではとりわけ行進曲の伴奏形のリズムがさまざまな楽器に配置され立体的な音響が形成される。しかしこの楽しげな行進曲も長くは続かず、夢から覚めたように最初の賛歌風の音楽が戻ってくる。
第4楽章:タイトル通りジプシー音楽のスタイルで書かれ、原曲の初演当時聴衆から最も喝采された楽章である。ジプシーバンドの生演奏特有の、弦楽器奏者の激しい弓使い、クラリネットの鮮やかなパッセージ、エキゾティックなツィンバロン、こうした熱気にあふれた音楽を、ブラームスはピアノ四重奏曲という抑制された様式による芸術作品として昇華させた。ところが、シェーンベルクはその卓抜したアレンジにより、ブラームスが一旦脳内にとどめた生々しい響きを再び譜面の上に蘇らせてしまった。ブラームス本人が聴いたらなんと感じるであろうか。興味深いところである。

(Perc. 桑原 崇)

←第22回
第20回→