演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

22定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2007年2月18日(日) 東京文化会館 指揮/武藤 英明

ドヴォルジャーク序曲「謝肉祭」作品92

序曲「謝肉祭」はドヴォルジャーク50歳の年に演奏会用序曲三部作の第2曲として作曲された。3部作はそれぞれ「自然」「人生」「愛」と名づけられたが、出版の際にそれぞれ独立した作品として作品番号が与えられ、タイトルも「自然の中で」「謝肉祭」「オセロ」と改められた。
この「謝肉祭」は三部作の中ではスケルツォの位置づけであり、冒頭から活気にあふれた全奏で開始する。しばらくは、その高いテンションを維持するが、突如ハープのアルペジオがさえぎり霊感に満ちた美しい中間部へといざなわれる。クラリネットにより奏される暗示的な動機は、実は三部作の第1曲目「自然の中で」の主題である。この部分は祭りの喧騒の中に垣間見る静寂の異空間を思わせるが、永くは続かず再び冒頭の主題が回帰する。その後は、さらに活気を増し、熱狂のうちに曲が終わる。「謝肉祭」というタイトルは後から付けられたものだが、日常生活から解放された人生の最高の瞬間というイメージをよく表している。
ドヴォルジャークは、よく知られているように晩年の数年間をアメリカで過ごしたが、その渡米前の告別演奏会で三部作の序曲が3曲とも初演された。しかし現在は3曲の中ではこの序曲「謝肉祭」が演奏会でとりあげられる頻度が圧倒的に高い。ドヴォルジャークとしては、その前後の「自然の中で」と「オセロ」の方は構想からいろいろ苦心したようだが、どちらかというと一気呵成に書かれた「謝肉祭」の方が人気が高いというのは作曲者の本意ではないと思われる。しかしながら「自然への回帰」や、「愛するが故の苦しみ」などよりは、まずは「人生の謳歌」に流れるというのが大方の世の倣いというものであろう。

スメタナ連作交響詩「我が祖国」

三十年戦争以降200年以上の永きにわたりハプスブルク帝国の属国として支配されてきたチェコにとって、19世紀後半はまさに民族の解放を懸けた闘争の時代であった。1872年、そのような気運の中、チェコ国民学派の創始者スメタナは、民族復興の理念を盛り込んだ連作交響詩「我が祖国」の構想を立てた。しかし、作曲に着手してまもなく50歳になった年、スメタナは、耳鳴り、難聴、めまいの症状を訴え始め、数ヶ月ののちには様々な治療も効果なくほぼ完全に聴力を失ってしまった。そのために彼は演奏活動や教職を辞したものの、不屈の精神を失うことなく、以前にもまして創作活動に専念することになった。音楽家として致命的ともいえる障害にも関わらず、「我が祖国」の全曲を仕上げ、さらに日増しに悪化する病状の中、オペラや室内楽の作曲を継続してきたことは、驚嘆に値する。
「我が祖国」の6曲の交響詩は7年をかけて作曲され、それぞれ個別に初演された。また、全曲通しての初演は1882年になる。

第1曲 交響詩「ヴィシェフラド」「ヴィシェフラド」は、チェコ語で「高い城」を意味し、チェコの古代伝説に登場する王妃リブシェの居城であったといわれているが、実際の建設は10世紀頃と言われている。吟遊詩人ルミールの奏でる竪琴の幻想的な響きで開始される。詩人は、戦争~凱旋~祝宴、そして陥落と、栄枯盛衰の城の歴史をつづっていく。
「ヴィシェフラド」の城自体はすでに破壊されて見る影もないが、城址には墓地があり、スメタナ自身をはじめ、同じく大作曲家のドヴォルジャークや、画家のミュシャ、作家のチャペルなどチェコ出身の偉大な文化人たちが眠っている。

第2曲 交響詩「ヴルタヴァ(モルダウ)」日本ではもっぱら「モルダウ」の名で親しまれているが、これはドイツ語における呼び方で、チェコ本国にはおいては「ヴルタヴァ」と呼ばれている。ヴルタヴァ河の流れと移り変わる川岸の情景がリアルに描写されていく。二つの源流~狩の角笛~村の婚礼のポルカと進み、日が落ちると月光の降り注ぐ中、妖精が現れ背後には古城が映る。後半は、「聖ヤンの急流」の激しい音楽の後、プラハ市内に流れ込み、1曲目の「ヴィシェフラド」の主題が高らかに奏される。悠久のヴルタヴァ河の流れが、チェコの民族と歴史を見守ってきたことを象徴する。

第3曲 交響詩「シャールカ」音楽は古代チェコの女傑シャールカ伝説のストーリーを忠実に表現していく。男性の支配に抵抗する女性たちが挙兵し城塞に立て篭もる。鎮圧に向かった騎士ツチラトは、木に縛り付けられた女性を見つけるが、実は、勇敢な女戦士シャールカ自身が囮となった罠であった。そうとも知らず、シャールカを助けたツチラトと部下は、あらかじめ用意された酒で祝宴をひらく。男たちがすっかり眠り込んでしまうと、角笛の合図により待機していた女性軍に殲滅されてしまう。なお、プラハ・ルズィニェ空港の近くに「シャールカ」と呼ばれる岩場の多い谷があり、シャールカ伝説の舞台であったとされている。

第4曲 交響詩「ボヘミアの森と草原から」スメタナは、プラハから東方100kmほどのリトミシェルと呼ばれるボヘミアの町で少年時代を過ごした。牧草地の中に木立が点在する美しい田園風景は、彼の原風景となったに違いない。まず荒涼とした原野のイメージではじまるが、そこに花が咲き、風がそよぎ、そして自然への賛歌が歌われる。後半は、活気あふれるポルカのリズムが、農村での生活を生き生きと描き、ボヘミアの自然に育まれてきたチェコの民衆の文化を賛美する。

第5曲 交響詩「ターボル」15世紀初頭、カレル大学総長のヤン・フスは、当時のカトリック教会の腐敗を敢然と告発し改革を訴えた。ルターの宗教改革より100年も前のこと、その行為は当時の教皇より異端として断罪され焚刑に処されてしまう。この事件に憤激したフスの教義の支持者たちが立ち上がり、プラハより南方80kmの地点に軍事拠点を築いた。これが現在のターボル市であるが、ターボルはもともと野営地という意味があり、その名の通り非常に入り組んだ街路をもつ要塞都市であった。ターボル軍は、戦術に長け、小銃や戦車など新兵器をあやつり、カトリック側の十字軍をことごとく蹴散らして周囲の国々から恐れられた。当時のフス教徒たちが歌う賛美歌の旋律3種を主題とし、いわゆるフス戦争と呼ばれるこれらの戦闘を描き、緊張に満ちた音楽が展開する。

第6曲 交響詩「ブラニーク」ブラニーク山は、ボヘミアのほぼ中央に位置し、山容はなだらかで、どちらかというと丘陵というほうが近い。この山には9世紀チェコの守護聖人聖ヴァーツラフとその軍隊が眠っており、将来の祖国の危機の際に再び蘇り国を救うという伝説がいつしか伝えられるようになった。あたかも前曲の「ターボル」の続編であるかのような荒々しい開始であるが、すぐに沈静化する。戦士たちがまどろむ間、地上では牧歌的な風景がひろがる。
しかし再び音楽が動揺すると、遠くから前曲の賛美歌を行進曲風にアレンジした主題が聴こえ、次第に音量を増していく。戦士たちは目覚め、ついに真の復興を祖国にもたらしたのだ。フス教徒の賛美歌に第1曲目のヴィシェフラドの主題が重なり、チェコの輝かしく栄光に満ちた未来を讃えて、連作交響詩の幕を閉じる。

(Perc. 桑原 崇)

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