演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

30定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2010年12月12日(日) サントリーホール 指揮/武藤 英明 ソプラノ/清水理恵 メゾ・ソプラノ/森山 京子 テノール/上本 訓久 バス・バリトン/三浦 克次 合唱/東京シティ・フィル・コーア 合唱指揮/藤丸 崇浩

ヴァークナー歌劇「リエンツィ」序曲

1837年、ヴァーグナーは、14世紀ローマの政治家リエンツィを主人公とする小説を題材にオペラを書くことを心に決め、まずは台本にとりかかった。そのころ彼は、ある劇団の看板女優と知り合い結婚したばかりであったが、夫婦そろって身の丈にあった生活ができない性分が災いし、地方歌劇場の指揮者を転々としながらもすぐに借金まみれとなる。やがて、リエンツィの台本が完成すると、この進退窮まった生活をリセットし、パリに渡りそこで実力でのし上り上演を果たそうという野望を抱きはじめた。とはいえ、充分な旅費など捻出できるわけもなく、パスポートすら借金の形にとられたヴァーグナー夫妻は、ついに一大決心して夜逃げ同然の脱出、地元住民に身をやつし、匍匐前進も辞さぬ覚悟で国境を強行突破、バルト海から密航船に乗り込み何度も時化にあい命からがらパリに密入国を果たした。
パリでは、オペラ座への就職までは順調だったが、そこは実力よりもカネとコネがものを言う世界、無産無名の青年音楽家は冷遇され続けた。それでも、リエンツィの作曲は続けられ、ついに5幕に及ぶ長大なオペラとして完成したが、もはやパリでは相手にされない。致し方なく、あきらめ半分、旧知をたよりにドレスデンの宮廷歌劇場へ懇願書を提出したところ、そちらではあっさり上演許可が下りたため、すぐにパリに見切りをつけ初演の準備をすべく、ドレスデンに移る。そして1842年10月、オペラ「リエンツィ」の初演は、優秀なオーケストラと豪華な歌手陣に恵まれた最高水準の演奏により大成功裡に終わった。上演中、何度も拍手喝采で中断され、終演は深夜の12時に及んだが、観客はだれひとり帰らずに最後まで賞賛を惜しまなかったという。不遇のつづいた20代最後の歳、一夜にして作曲家としての名声を勝ち得たヴァーグナーだったが、評判を聞きつけた債権者たちが殺到するというおまけもついてしまったようだ。
オペラ「リエンツィ」は、民衆の支持を得て立ち上がりながらも、同じ民衆から反逆を受け非業の死を遂げるという重厚な悲劇であるが、もっぱら当時のパリで隆盛であったグランドオペラの様式を模倣しており、ヴァーグナーのオリジナリティは、いささか乏しい。現在オペラ本体が上演される機会はほとんどないが、金管群を中心とする聴きごたえのある序曲だけは、通常の演奏会に取り上げられる機会が多い。曲の冒頭に3度、曲中に何度か聴かれるトランペットの長い音は、民衆へのリエンツィの呼びかけであり、その後、リエンツィの祈り、敵を釈放する寛大さを表すマーチ風旋律、民衆の叫びを表す攻撃的なファンファーレなど、オペラで使用されている動機が自由に組み合わされて構成される。
さて、リエンツィ成功後のオペラ作曲家としてのヴァーグナーの活躍はいうまでもないが、もうひとつ重要な功績がある。ベートーヴェンの第九交響曲を、指揮者として就任したドレスデン歌劇場付の管弦楽団(現在のドレスデンシュターツカペレ)の演奏会で取り上げたことである。第九交響曲は、初演後しばらくは、声楽付という斬新な着想をはじめ、革新的な書法や規模の大きさのため、その真価が理解されるような演奏はほぼ不可能という状況が続いていた。しかし、ヴァーグナーは音楽少年だった10代のころに第九の存在を知り、これを傑作と信じて疑わなかった。ようやく、自身の思い描く第九の姿を具現化するチャンスを得たヴァーグナーは、抵抗する周囲を説得、必死の啓蒙活動により、1846年ついに長年の悲願であった再演を果たすことができた。この日、第九交響曲は、この歴史的演奏会に立ち会った聴衆から深い感動をもって迎えられ、そして人類の至宝としての揺るぎない地位を獲得したのである。

(Perc 桑原 崇)

参考文献:吉田 真「作曲家・人と作品シリーズ ワーグナー」音楽之友社 2005刊

ベートーヴェン交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」

創業100周年の今年、記念コンサートシリーズとしてベートーヴェンの交響曲全曲演奏に取り組んで来た。
本日はいよいよ交響曲第9番「合唱付」を演奏する。ベートーヴェンの最後の交響曲にして音楽史上の最高傑作、と言えばやや大げさだが、事実、そう言っても言い過ぎでないほどの偉容を備え、あらゆる交響曲作品の頂に凛然と君臨する作品である。この音楽史上特別な作品を、記念の年に、最高のホールで演奏できることを幸福に思う。
ベートーヴェンがこの曲を完成させたのは1824年。シラーの詩に着想を得てから30年、本格的に作曲に着手してからも約10年を要している。この頃ベートーヴェンは難聴の快癒という希望を捨て去り、失恋の痛手や健康に対する不安を自ら克服し「芸術のために社会生活の些事すべてを犠牲にせよ」と日記に記して創作意欲を鼓舞しつつ作品を書き上げた。その渾身の成果が結晶した初演は大成功となった。
その際の感動的な逸話は有名である。初演当時既に聴力を失っていたベートーヴェンは指揮を他に任せ、自らは指揮者の傍らで速度の指示に当たっていた。曲が終わっても聴衆の喝采に気付かず総譜に目を凝らしているのを見かねて、アルト歌手が彼の袖を引いて客の方に向けさせた。そこには、熱狂して立ち上がって手を振る聴衆の姿があった・・・
さて、本日は記念コンサートの機会を得て初めてコンサートホールに足を運び、生で交響曲第9番を聞くのも初めて、という方も多いのではないだろうか。年末といえば第九(だいく)というほどに、我が国では風物詩として定着している。
専門的な解説は世に沢山出ているから他に譲るとして、この曲がかくも評価され愛されるのは何故か、その魅力は何処にあるか、第九の豆知識と私の考えを交えながら紹介させていただこうと思う。 
そもそも、なぜ年末に第九なのか?と疑問を持たれる方も多いだろう。これには諸説ある。本来、年末とこの曲は何の関わりもなく、1940年頃からNHKがヨーロッパの演奏習慣に倣うとして大晦日にこの曲を生放送し、それが恒例になったことの影響と言われている(しかし彼の地にそのような習慣はなく何らかの誤解と言われている)。さらに出演者数が多くチケットが売れるこの曲を年末に演奏することでオーケストラの収入拡大を図ったもの、という説が有力である。このプロモーションは各地で成功し、市民合唱団などによる演奏参加も盛り上がりを見せ、日本では年末の第九が定着するに至っている。
第九の魅力の秘密のひとつは「変革」にある。
ベートーヴェンが試みた様々な変革のうち、ここでは楽器編成と曲の長さについて紹介したい。ベートーヴェンは、それまでのオーケストラに用いられることの少なかった楽器を交響曲に起用したが、第九ではさらにそれらに重要な役割を与えた。ピッコロ、コントラファゴット、トライアングル、シンバル、大太鼓、これらの楽器は第4楽章、トルコ風のマーチにおいて活躍する。作曲当時ベートーヴェンは中東やインドに興味を持っており、異国の響きを作品に加えることにより、地球規模での人類愛を表現したのではないだろうか。この曲以後、これらの楽器はオーケストラに定席を得ることとなった。また、ホルンがそれまでの2本から4本に増強された。さらに、神の声の楽器として教会音楽でのみ使われていたトロンボーンを交響曲で本格的に起用した。以後これらがオーケストラの標準的な編成となっていく。さらなる最大の変革として、これらの楽器に加え、第4楽章には4人のソリストと混声合唱が加わる。このようなかつて無い大規模な編成が生み出す多彩なサウンドは、当時としてはまさに革新的であった。
私が中学生の頃、初めて自分の小遣いで買った第九のLPレコードは、第3楽章が途中でぶつりと切られてB面はその続きから始まっていた。第九と言えば普通はLP2枚組にすべきところ、廉価版たる所以である。しかし、これでもひっくり返す回数が一回だけだからまだ良い。LPの前のSPの時代、例えばワインガルトナー指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の第九のSPレコード(1935年)は8枚組16面。当時の愛好家は第九を楽しむために5分ごとに15回も掛け替えなければならなかったそうである。レコードをターンテーブルに乗せて針を置く。スクラッチノイズの中から弦楽器の神秘的なトレモロが沸き上がって来て期待に胸が高まる。やがて爆発するようなテーマが奏でられ、圧倒的な音楽の世界に身を浸す。レコードで第九を聴く時の幸福な瞬間を思い出す。やがてCDの時代が到来するが、1970年代後半にCDの規格が検討された際、その収録時間は「第九を一枚に収められるように」と設計されたと言われている。第九が特別な曲であることを象徴する話である。
このように、第九で特徴的なのは、その演奏時間の長さである。全曲で65~70分。今日では例えばマーラーやブルックナーに比べて決して長くないが、当時の古典の交響曲としては破格の長さである。しかも「合唱付」という割には、開始後しばらく歌声の出番はない。ベートーヴェンが交響曲に初めて声楽を登場させるために周到に準備を重ねた結果、合唱と4人のソリストの出番は、曲の最後の20分ほどとなった。

第1楽章 冒弦楽器のトレモロとホルンが神秘的に静かに奏でられる中、断片的なテーマが奏でられ、やがて5度音程の下降を主体とした力強い第一主題が登場する。この壮大な交響曲の幕開けに相応しい、カオスからの宇宙の創世を思わせる開始である。大河の流れのような第二主題が続き、壮大な音楽が繰り広げられる。

第2楽章 「森の中で小人がとびはねている」というイメージから作曲されたと言われるスケルツォ。歯切れ良いリズムが特徴的な楽章で、オクターブに調律されたティンパニの活躍が印象的である。

第3楽章 二つの部分からなる自由な変奏曲形式で祈りに満ちゆったりとした平和な音楽が奏でられる。中間部ではホルンのソロが活躍し、後半ではファンファーレが鳴り響く。

第4楽章 激しい不協和音に続けて激しい音形が奏された後、これまでの三つの楽章の断片が登場しては低弦がそれを否定するように答える。 いよいよ「歓喜の歌」の登場である。まず低弦で静かに奏され、次第に音量を増して全奏となる。しかし合唱はまだ歌わない。再度激しい不協和音に続いてバリトンソロが「おお友よ、このような音ではなく、もっと快い、もっと歓びに満ちた調べを歌おう。」と歌うと、ようやく待ちに待った「歓喜の歌」が合唱により歌われる。
やがて「歓喜の歌」はトルコ風マーチを経て高らかな合唱となり、祈りの音楽、二重フーガ、四重唱など多彩に盛り上がり、テンポを上げて華麗に曲を閉じる。
ここで歌われている歌詞はシラーの「歓喜に寄す」に基づきベートーヴェンが手を加えたものであり、「あらゆる生き物は自然の乳房から喜びを飲む」というエコロジーに通じる思想と、平和と人類愛、希望と歓喜を高らかに歌い上げている。

参考文献:青木やよひ「ベートーヴェンの生涯」平凡社新書(2009刊 遺著)

(Fl 庄子 聡)

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