演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

第46回定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2019年1月20日(日) すみだトリフォニーホール 指揮/新田 ユリ

ショスタコーヴィチ:祝典序曲 作品96

【作曲者と祝典序曲について】
 日頃馴染み深いクラシック音楽の作曲家というと、モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキーあたりが真っ先に浮かぶ人も多いと思う。
 18~19世紀に活躍した遠い昔の天才達であって、実際彼らの曲を演奏する際には、凄い曲だな~と思いつつも彼らを神格化してどこか別世界のかけ離れた存在と捉えている自分に気づく。一方、ショスタコーヴィチは、紛れも無く20世紀の作曲家である。
 卓越したピアニストとしても活躍する一方、熱狂的なサッカーファンで、サッカーの審判の資格も持っていた。筆者がちょうど吹奏楽部に所属していた中学生の時に、ショスタコーヴィチが亡くなったニュースを何かで見た記憶がかすかにあり、同じ時代を生きた人として幾分親近感を覚えるところがある。
 ショスタコ-ヴィチの曲を語る時、彼の生きた人生に多少とも触れないわけにはいかないであろう。当時の国家はソヴィエト連邦であり、スターリン率いる時の独裁体制にショスタコーヴィチは翻弄され続けた。作品を世に出すと体制の批判に晒され(所謂、プラウダ批判、ジダーノフ批判)、音楽院の教授の職を解任されたこともあった。スターリンの圧制によって多くの人々が粛清されたこの時代、体制の批判を浴びることは、そのまま粛清に繋がる可能性もあった。音楽院での活動に復帰する引き替えに、ソヴィエト共産党員となったこともある。
 それゆえ、彼の音楽作品には、全体に重く暗い雰囲気が漂い、心の葛藤を押し隠すような屈折と張り裂けんばかりの悲痛な叫びをイメージさせる部分が垣間見える。その最たる作品の1つが、あの有名な「交響曲第5番(革命)」と言う人もいる。全体として体制に迎合した印象に仕上げており、特に壮大な終楽章の終盤部などは、体制を謳歌すらしているようにも見えるが、実は「強制された喜び、底知れぬ悲しみを表現した」と後日ショスタコーヴィチ自身が告白したとされ、そこには痛烈な皮肉が込められていることも明らかとなった。
 そんなショスタコーヴィチに転機が訪れる。1953年、独裁者スターリンが亡くなったのだ。それまで体制からの批判を懸念して中断していた交響曲の作曲・発表を再開し、協奏曲、室内楽曲、声楽曲でも傑作を多数残した。翌年1954年には、ロシア革命37周年祝典の記念演奏会のためにソビエト共産党からボリショイ劇場を通じて委嘱作品を依頼された。実際には、当時の指揮者が演奏会の数日前になって、急遽、演奏会の最初に演奏するすばらしい序曲を書いて欲しいと依頼してきたようである。ショスタコーヴィチはこれに応え、自身の幾つかの元ネタ(「子供の音楽ノート」「森の歌」「ジャズ組曲」)を引用しながらも、わずか3日で書き上げたと言われている。その曲が、今回演奏する「祝典序曲」である。
 トランペットの輝かしいファンファーレに呼応した低音楽器による勇壮なパッセージの後に、プレストとなりクラリネットが忙しく動き回るようなテーマを演奏する。ピッコロ・フルートが加わり、ヴァイオリンに引き継ぐと、今度はトロンボーンを含む低音楽器により倍に引き伸ばされて演奏される。次いで、ホルン・チェロによる流麗な旋律が現れる。その後、幾つかの旋律・対旋律を経て、再び冒頭のトランペットによるファンファーレとなり、金管群のバンダ隊も加わって、まるでパイプオルガンを大音量で奏でているかのような壮大なサウンドとなる。最後は、再びプレストとなり、中間部で奏でたあの流麗な旋律が倍速で登場し、3連符により更にもう一段加速して最高潮に達し、なだれ込むように終わる。
 この祝典序曲を演奏してみるに、底抜けに明るくスカッとするような爽快感と、一点の曇りもなくひたすら突っ走るような疾走感を満喫できる。数あるショスタコーヴィチの曲の中でも異例中の異例と感じる。ショスタコーヴィチにとっては、まさにスターリンによる圧制が終って明るい未来を予感し解き放たれたことへの祝典でもあり、同時にここまで忍耐を重ねて頑張ってきた自身への勲章でもあったのではないか、と想像する。  
(Trombone 外川 英男)

リャードフ:8つのロシア民謡 作品58

 作曲者について
 アナトーリィ・コンスタンティーノヴィチ・リャードフは、1855年に生まれ1914年に没したロシアの作曲家です。(ちなみに1855年は、日露戦争後の講和条約締結交渉において日本の全権大使を務めた、小村寿太郎が生まれた年でもあります。)
 1870年からペテルブルク音楽院にてピアノ、ヴァイオリン、作曲を学んだ後、1878年からは同音楽院で教鞭を執ってセルゲイ・プロコフィエフ等の作曲家を育成するとともに、作曲活動も行いました。彼は音楽家の一家に生まれ、また、音楽の道に進むにあたって親から反対を受けたという話も特に残っていないようで、音楽家になる上で比較的恵まれた環境にあったようです。  一方で、彼は勤勉とは言い難い人であったようです。ペテルブルク音楽院在学中には、師であるリムスキー=コルサコフから不真面目と評価されたり、出席日数不足による除籍処分を受けたりしていますし、その後においても、作曲に着手してもなかなか完成させられず、大作を作曲することはなかったと言われています。
 日立フィルは第31回定期演奏会(2011年8月 横浜みなとみらいホール)にて、この作曲家の作品である交響詩『魔法にかけられた湖』を演奏しましたが、この作品も未完成に終わったオペラの素材を活用して生み出されたものであったそうです。彼は才能や環境に恵まれつつも、才能以外の自分の個性や巡り合わせ等により、なかなか派手な結果を出せなかったのかもしれませんが、それでも彼の作品は歴史の中に埋もれてしまうことなく、現代においてもこうして演奏されています。
曲目について
 リャードフは、1890年代にロシア地理協会の依頼により、ミリイ・バラキレフらと共にロシア民謡の収集及び編曲を行ないましたが、その一部をオーケストラ用に編曲して作ったのが、この『8つのロシア民謡』です。その名のとおり8つの小曲により構成されており、それぞれが異なるロシア民謡を元に作曲されています。私がこの曲の最大の魅力と感じるのは、ひとつひとつの小曲の個性が非常に際立っていて、それぞれの曲が始めるとすぐにその世界が広がることです。民謡の選択、オーケストラ編曲、曲配置の順番等、様々な工夫が凝らされているのだと思いますし、我々オーケストラもそれぞれの曲の味わいの違いが表現できるよう、練習してきたつもりです。本日ご来場の皆様には是非、それぞれの題名と聴こえてくる音楽を比べていただいて、様々なロシア民謡を楽しんでいただければと思います。
(Violoncello 甲斐 章浩)

ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調作品27

【音楽家ラフマニノフ】
 セルゲイ・ラフマニノフは、1873年4月1日に帝政ロシアのセミョノヴォで生まれた。裕福な貴族の家系であったが、セルゲイが生まれたころはすでに没落していた模様である。セルゲイは幼少の頃よりピアノの才能を示し、奨学金を得、はじめはペテルブルク音楽院、のちにモスクワ音楽院に転入して音楽を学んだ。ピアノをニコライ・ズヴェーレフに、和声をアントン・アレンスキーに、対位法をセルゲイ・タネーエフに学び、1892年にはモスクワ音楽院を同期のアレクサンドル・スクリャービンとともに優秀な成績で卒業した。
 こうして音楽家としてのキャリアを歩み始めたところ、1895年に作曲しアレクサンドル・グラズノフの指揮で初演された交響曲第1番を、ロシア5人組(19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団)のツェーザリ・キュイ他に酷評され、しばらくの間作曲を行わなくなってしまう。しかし後に意欲を回復し、1900年から1901年にかけて作曲したピアノ協奏曲第2番と2台のピアノのための組曲第2番の初演が大成功を収めた。これによりグリンカ賞を受賞し、作曲家としての名声を確立した。
 1904年からはボリショイ劇場の指揮者としても活動していたが、作曲に専念できるよう、またロシア国内情勢に煩わされないよう、1906年から1909年まで、家族とともにドレスデンに滞在した。この間の1907年に完成させたのが、本日演奏する交響曲第2番である。1908年に自身の指揮により初演し、称賛を得たこの作品により2度目のグリンカ賞を受賞した。この時期がラフマニノフの作曲家としての絶頂期であった。
 1917年の10月革命の際にロシアを離れ、アメリカやスイスに滞在して音楽活動を続けたが、演奏活動が多忙なこと、故郷を離れたことによる意欲の衰えから、以降の作曲活動は低調であった。その後は祖国ロシアに戻ることなく、1943年にビバリーヒルズの自宅で70年の生涯を終えた。 交響曲第2番が作曲された19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシアでは、リムスキー=コルサコフを始めとする国民楽派と呼ばれる作曲家たちが登場していた。
 ドイツロマン派やフランスロマン派の音楽と融合させるチャイコフスキーとは異なり、グリンカ、ダルゴムイシスキーらの流れをくむ民族色の強い作品を生み始めていたのである。また、モスクワ音楽院同期のスクリャービンは、オーストリアにおけるシェーンベルクの12音技法に先駆けて、調性を超えた音楽を生み出している。しかし、ラフマニノフはこれらの時代の流れには乗らず、チャイコフスキーの音楽にあるロシア音楽の精神を引き継ぎ、伝統的な調性音楽の手法に則り、甘美でロマンティックな旋律で訴えかけてくる。そしてロシアロマン派といえばラフマニノフと言えるほど、これ以上ない濃厚なロマンティシズムを生み出した。そのロマンティシズムを多数の音の重なりの中で生み出すため、ラフマニノフは表情記号やテンポに加え、特にダイナミクスの変化を楽器別にかつ拍ごとに、こと細かに指定している。このような演奏者への指示方法はワーグナーやブラームスに始まり、同時代の他の作曲家マーラーやリヒャルト・シュトラウスらが用いた表記と共通点があり、時代に即していたと考えられる。
【交響曲第2番】
 1906年から1907年にかけて作曲され、1908年にペテルブルクで初演、音楽院時代の恩師タネーエフへ献呈された。自筆譜は紛失されていたが2004年に発見され大英図書館に永久貸与、その後2014年にサザビーズで競売に掛けられ、120万ポンドで落札された。曲は4つの楽章からなる。もとは演奏会の前座だったシンフォニアが、ハイドン、モーツァルトの時代に充実し、ベートーヴェンによって大衆化され、演奏会の目玉として据えられるようになったものが交響曲である。
 ここに対しラフマニノフは、チャイコフスキーらと同様に伝統的なソナタ形式や3部形式といった書法を守った上で、彩りと装飾を多分に加え構成を拡大した。どこまでも続く甘美な旋律の流れ、寄せては返す感情の波、複雑な音の重なりを特徴とし、全編に渡っては循環形式による統一を行っている。演奏時間は全体で60分近くになる大作となっており、1950年頃は当初の作曲とは異なり一部を省略した版が習慣的に用いられた。
しかし、エフゲニー・ムラヴィンスキー(ロシアの指揮者1903-1988)がアンドレ・プレヴィン(ドイツ出身でアメリカの指揮者1929-2019)にその存在と使用を勧めたのがきっかけで、全曲版が演奏されるようになった。この曲の魅力は、繰り返される感情の波と多数の音の重なりによる重厚さと複雑さであり、現代ではこの版の使用が一般的である。第3楽章は特に美しく、映画・テレビドラマやCMなどでたびたび使われており、知名度を上げている。ラフマニノフの代表作としても認知されており、アレクサンダー・ヴァレンベルクという現代の作曲家によって、「ピアノ協奏曲第5番」としてアレンジされている。そこでは、ピアノ協奏曲らしく3楽章形式に再構成されており、原曲の第2楽章が大幅に省略されている。
第1楽章 Largo - Allegro moderato
 長い序奏の付いたソナタ形式である。序奏ではコントラバスを中心とした重厚な弦楽器の低音で幕を開け、各楽器の音が幾重にも重なり合い、陰鬱で複雑な様相を示す。ここには全曲に登場する重要な動機が散りばめられ、これらを繰り返した高揚が一度収まったところで、イングリッシュホルンによる繋ぎが入り主部へ移る。ソナタ形式の主部ではテンポを早め、第1主題は序奏の世界を引き継ぎ、ときには急激な音量の変化を伴いながら、熱くなっていく。対象的に第2主題は弦楽器と木管楽器による柔らかさと可愛さを示す。展開部ではヴァイオリンソロに始まり管楽器へ受け継いでいき、次第にクライマックスを作り上げ、展開部の続きの形で第1主題が再現される。第2主題は提示部と同様に再現されるが、その後は変形されていく。コーダでは主題の断片が現れながら、決然としたリズムで楽章を閉じる。
第2楽章 Allegro molto
 2拍子のスケルツォである。グレゴリオ聖歌の『怒りの日』が楽想のベースとなっている。主部は弦楽器と木管楽器のリズムに乗ったホルンのファファーレで開始する。クラリネットソロに導かれ、木管楽器のオブリガードを伴う弦楽器の流麗なフレーズと、木管楽器と弱音器をつけた金管楽器による不穏な刻みを間に挟む。中間部トリオはシンバルを含む強い一打に始まり、弦楽器に始まる緊張感のある音型と、金管楽器による行進曲風の旋律が登場する。戻ったスケルツォ主部ではいくらか変形されて、コーダではテンポを緩め金管のコラールを挟み、静かに楽章を終える。
第3楽章 Adagio
 甘美な旋律が印象的な3部形式である。3連符の伴奏へ八分音符の旋律が乗る形で、冒頭から波が押し寄せるようにして主題が始まる。 ヴァイオリンからクラリネットに引き継がれて提示されるロマンティックな主題は、クラシック音楽の中でも屈指といえる。この主題の後、イングリッシュホルンおよびオーボエと弦楽器の対話による寂しげな旋律を挟んだ後、大きなクライマックスを迎える。休止を挟み、これまでの素材をオブリガードのように重ねながら歌いこみ、再度盛り上がりを見せた後、最後は静かに終える。
第4楽章 Allegro vivace
華やかなソナタ形式の終楽章である。細かい音を多数用いたエネルギッシュかつ色彩感あふれる旋律に行進曲風の旋律を挟む第1主題と、2拍3連の伴奏による緩やかでこれもまたロマンティックな第2主題とで構成される。終楽章にふさわしく、途中に前の楽章で登場した動機の回想を挟み、次第に高揚感を増していく。最後の再現部では第2主題をより壮大に歌い、コーダへ入り豪華に全曲を終結する。
(Horn 真保 充博)

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