演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

11回定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2001年7月29日(日) すみだトリフォニーホール 指揮/神宮 章

ハイドン交響曲第104番 ニ長調 「ロンドン」

貧しい家庭に生まれ、幼くして叔父に引き取られたハイドンは8歳のとき少年聖歌隊に入り音楽教育をうける。しかし変声期をむかえ聖歌隊を解雇され、その後10年間は定職のないフリーの音楽家として苦労した。だがそんなハイドンに人生の好機が訪れる。エステルハージ侯爵の副楽長に就任、また出版社との契約による作曲活動も行うようになるのである。ハイドンの曲は多くの人の耳に届き、ヨーロッパ中に名声が轟いた。噂を聞きつけた名バイオリニストのザロモンはハイドンをロンドンへ招き、作曲を依頼した。104番はその中の1曲であり「ロンドン」と呼ばれている。ハイドン最後の交響曲である。

[第1楽章] 序奏は短調か長調か明確でないユニゾンで始まり、その後、短調となるもののすぐに長調に変わる。あいまいで憂鬱な雰囲気を伴うが、一転して流れるようなアレグロの主題となる。リズミカルに進む基調の中にメロディックな滑らかな旋律が絶妙なバランスをもったソナタ形式である。

[第2楽章] 提示部は長調で始まるが、中間部では短調の木管と明暗をわけている。続いて、主題に対する展開が行われるが、ひとしきり経ったところで突然やむ。提示部の後半の再現では3連符のリズムが顕著になり、思い入れのあるように停滞する。フルートのソロで飾った後、主題の再現に復帰する。

[第3楽章] 複合3部形式のメヌエットとトリオ。主題の前半では2度と5度の関係を意識しており、第1楽章の序奏部で現れた5度の音程が思い出されるような主題となっている。

[第4楽章] 第1主題の旋律は、第1楽章の第1主題を裏返しにしたものである。メロディ進行や音程などを逆転して発展させてつくられている。

(Fl 今橋直子)

ブルックナー交響曲第9番 ニ短調 (ノヴァーク版)

27歳に聖フロリアンの修道院のオルガニストとなったアントン・ブルックナーは、1824年にオーストリアのアンスフェルデンに生まれた。彼は13歳で愛する父を亡くし、聖フロリアン僧院の児童合唱団員となり、リンツで教育を受けて、21歳で同院の教師になった。オルガニストとして音楽理論を向上させた彼は、31歳にウィーンでシモン・ゼヒター師に対位法を師事し、1856年(32歳)から1868年(44歳)の間、リンツの大聖堂のオルガニストを勤め、1857年には、ウィーン大学の理論講師、1867年からはゼヒター師の後を受けて、ウィーン音楽院の教授として当時の音楽家の育成に努めた。彼の作品には、10の交響曲、弦楽5重奏曲、三つのミサなどがある。

彼は交響曲第9番を、1887年(63歳)から1896年(72歳)の亡くなる年まで作曲し続けた。この交響曲は第3楽章までが完成されているが、この事は彼の望むことではなく第4楽章を病に冒されつつもスケッチを書きこの大曲を完成させようと身体の続く限り取り組んでいた。音楽学校での授業を放れたのが1891年(67歳)、王宮礼拝堂のオルガニストを降りたのが1892年、自由を得たその後に交響曲第9番の作曲に力を注いだ。老いた巨匠の集大成も悲しくも未完成になってしまった。この交響曲はそれまでの彼の作品と比べると音の運びやフレーズの繋ぎが彼らしくなく、音の濁りも平気で多用していて、彼の心の「闇」を感じ取ることができるとても哀しい交響曲である。

ブルックナーの交響曲には全てではないが、ワーグナーチューバという楽器が用いられており、9番にももちろん使われている。独特なハーモニーを醸し出すこの楽器は、ホルン奏者によって演じられる。トロンボーンの音色に深みを加えたような音、ホルンのような柔らかな音色を出すワーグナーチューバの楽譜は変ロ調とヘ調で書かれている。楽器の形状も異形でベル(ラッパ)の部分も先端が湾曲しておりホールの天井に向けて音が飛ぶようになっている。この交響曲では第3楽章のみワーグナーチューバが使われており、楽章の最後は弦楽器のピッツィカートとフレンチホルン、トロンボーン、チューバ、ワーグナーチューバのハーモニーで終結している。アントン・ブルックナー第9番交響曲の光はこの終結部のホ長調のハーモニーで完結することではなかろうか。そしてこの響きを創り終えた彼は、また一歩「神」に近づいたのかもしれない。

(Hr 市木彦浩)

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