演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

27回定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2009年7月5日(日) 東京文化会館 指揮/田部井 剛

ヴァーグナー楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲

16世紀の南ドイツでは、同じ職の職人たちが組織的に団結する組合制度が発達してきたが、その中でマイスターとよばれる身分は組合組織において最高位に位置づけられていた。マイスターたちは、その職における高い技術に関しては当然のこと、加えて高い教養をも身につけていることを要求されたという。中世から多くの吟遊詩人たちが住み着いてきたニュルンベルクにおいては、マイスターが歌の道に優れていることすなわち、文学、修辞学、音楽、さらには天文や数学までも含めた総合的な学問を体得していることを意味した。こうして歌を習得したニュルンベルクのマイスターは「マイスタージンガー」と呼ばれ市民から敬意を表されたのである。
ヴァーグナーは、1845年「タンホイザー」を完成後、ニュルンベルクに実在したマイスタージンガーであるハンス・ザックスを題材としたオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を計画した。足しげく図書館に通うなどして、文献等の研究を続けたものの、実際の制作に着手したのは15年ほど経過した1861年ころのことであった。もともとは「タンホイザー」が歌合戦を題材とした悲劇であったため、やはり歌合戦物として対をなす喜劇として考えられていたようであるが、結局は演奏時間が4時間半近くにも及ぶ長大な楽劇として完成された。
作曲にとりかかってその翌年にまず前奏曲が完成、単独で初演されたが、楽劇全体の初演はさらにその6年後であった。前奏曲には楽劇本体に登場する数々の主題が盛り込まれ、特にその威風堂々たる開始は、最終場の歌合戦開始前のマイスターたちの入場シーンでもある。また前奏曲の後半部分も、最終場の大詰めでにいたって、ほぼそのままの形でもう一度登場し、独唱や合唱を加えて楽劇全体を輝かしい終結へ導く。
なお、楽劇の上演においては、この前奏曲のコーダが鳴り響く中、舞台の幕があがり、音楽は切れ目なく舞台上の教会の合唱とオルガンによるコラールに切り替わることになるが、前奏曲単独で演奏する場合は、最後に楽劇全体の終結和音を追加して演奏するのが通例である。

(Perc 桑原 崇)

R.シュトラウス楽劇「薔薇の騎士」組曲

オペラ「薔薇(ばら)の騎士」は、愛をテーマにしたわかり易い筋書きと、洒落たウィンナワルツ、絢爛で官能的な音楽により、リヒャルト・シュトラウスの代表作として親しまれている。舞台は18世紀ウィーン。当時の貴族の間では、婚約の証として花婿から花嫁に銀の薔薇を届けるという習わしがあり(台本上の創作)、この使者を務める騎士が「薔薇の騎士」である。本日演奏する組曲は、1945年に指揮者ロジンスキーが、オペラ全幕の中から聴きどころを抜き出して、筋とは無関係に切れ目なく編んだもので、コーダを除いてオペラのオリジナルの管弦楽がほぼそのまま用いられている。
曲はホルンの勇ましいテーマで始まる。うねるように頂点まで盛り上がると、やがて木管楽器が幸福感に満ちた調べを奏で、弦楽器が官能的に歌う。ここまでがオペラの序曲に当たる部分であり、ここで幕が上がる。舞台は陸軍元帥公爵の屋敷。明け方、元帥夫人が若い愛人オクタヴィアンとベッドの中で愛の余韻に浸っている。R-15指定が必要かも知れないこのシーン、本日は大丈夫だがオペラ観劇の際は赤面にご注意を。
さて、続いて現れる心が躍るような全奏は、場面変って第二幕冒頭、薔薇の騎士の到着を待つ花嫁ゾフィーの屋敷の、期待に満ちた情景である。トランペットのファンファーレが鳴り響き、オクタヴィアンが銀の薔薇を掲げて登場する印象的な場面。しかし、使者オクタヴィアンと花嫁ゾフィーは、一目見て互いに恋心を抱いてしまう。木管やホルンが甘く愛の二重唱を奏でる。チェレスタ、ハープが意外な和声できらきらと添える合いの手は、見事に細工が施された薔薇の銀の花弁がさまざまに光輝くかのようである。
突然、鋭い和音が鳴り響き、激しい音楽となる。第二幕後半、若い二人の恋心が花婿オックス男爵に気付かれてしまう場面。しかし音楽はすぐに洒落たウィンナワルツとなる。オックス男爵が上機嫌で踊るワルツである。オックス男爵はとんでもなく下品で野卑な男で、花婿への期待をそがれた花嫁ゾフィーは、ますますオクタヴィアンに惹かれ、オクタヴィアンは一計を案じてオックス男爵を引き下がらせる。
トランペットの静かなソロに導かれて、木管と弦が息の長い美しいメロディーをゆるやかに奏で、やがて全奏へと盛り上がる。これは三幕の後半、元帥夫人、オクタヴィアンとゾフィーの三重唱である。これぞシュトラウス会心の美しい音楽で、オペラ全幕中の白眉である。自分の若さが永遠ではないことを知り「時」の残酷さを日々思う元帥夫人は、オクタヴィアンがゾフィーのもとに去っていくことを潔い諦観をもって受け入れる。複雑な心の移ろいを見事に表現した音楽である。ハープの優しい伴奏に乗せて弦とクラリネットが若い二人の愛を奏でた後、テンポの速い賑やかなワルツとなり、盛大に盛り上がって曲を閉じる。

(Fl 庄子 聡)

ベートーヴェン交響曲第3番 変ホ長調「英雄」作品55

ベートーヴェンの耳疾は30歳を過ぎて急速に進行し、数年後には介添人がいなければ生活に支障が出るほどであった。もちろん職業音楽家としては致命的な障害であり、一時は自殺すら考えたベートーヴェンであったが、芸術家としての使命感が彼を死の淵から引き戻し再び創作活動に集中することを決意させた。そして、かつてないほどの充実した創作意欲をもって、これまでの常識的な様式からかけ離れた音楽語法や作曲技法を駆使して大規模な作品として完成させたのが交響曲第3番「英雄」である。
第1楽章は、冒頭いきなり全合奏による主和音が2回連打されるとすぐに「英雄」の名にふさわしい雄渾な楽想で第1主題が提示される。木管楽器の柔らかい和音による第2主題以外にも経過的な部分に多くの主題が提示される。著しく拡大された展開部やコーダでは、むき出しで強調される不協和音や、拍節感を失いそうになるほどに執拗なシンコペーションに、初演当時の聴衆もさぞかし戸惑ったことであろう。第2楽章は「葬送行進曲」と題され、哀歌を思わせる主旋律が繰り返されるうち、後半に突如として劇的な展開を見せる。ところで、なぜ「英雄」交響曲の第2楽章が「葬送行進曲」であるのかということについては、当時よりさまざまな推測がなされてきた。死してなお後世までその名を語り継がれてこその「英雄」であるからなのか? あるいは、後続の楽章を「死」からの「復活」として表現したかったのか? さらには、ベートーヴェン自身の、過去を清算し新たに生まれ変わることの決意とみる向きもある。第3楽章では、典雅なメヌエットにかわり無窮動的な運動の中から主題が浮かび上がるスケルツォと、ホルンの三重奏を中心とする狩や戦いの開始を告げるかのようなトリオで構成される。終楽章は、一陣の突風を思わせる序奏に引き続き、ちょっと謎めいた動機が提示され2回の変奏が行われた後、ようやく旋律らしい旋律が管楽器によりさきほどの動機を伴奏にして奏される。つまりこの楽章は、主題の伴奏の一部であるバスの動きだけを切り出しで最初に提示し、本来の旋律主題を後になって登場させるという斬新な形式の変奏曲なのである。なお、この主題は、交響曲第3番より先立つこと4年前、とある依頼により作曲された「プロメテウスの創造物」と題するバレエ用音楽の終曲の旋律から転用されたものである。この旋律は、さらにその後、「12のコントルダンス」やピアノのための「15の変奏曲とフーガ」においても転用されている。このように同じ旋律を複数の作品で登場させるということは、ベートーヴェンとしてはあまり例のないことであり、単に気に入った旋律だったからという理由ではかたづけられないであろう。上述の「プロメテウスの創造物」のバレエのプロットが、終楽章の隠されたプログラムとして、音楽の流れと対応できるとする指摘もある。いずれにせよこの交響曲のコンセプトと「プロメテウス」の英雄的な神話とは無関係ではないであろう。
さて、交響曲第3番にまつわるエピソードの中でも最も有名なものは、弟子フェルディナント・リースによる証言であろう。ベートーヴェンは、ナポレオンを絶対王制からの解放者として賛美し、この作品を捧げる予定でいたが、そのナポレオンが皇帝即位すると聞いて激怒し、清書されたばかりのスコアの表紙を縦に引き裂いたというものである。実際は、表紙は引き裂かれずヴィーン学友協会に保管されているが、確かに「ボナパルト(ナポレオンのファミリーネーム)に捧げられた」という意味の献呈の辞の「ボナパルト」の文字が抹消されている。激しい感情をもって掻き消したのか、紙に穴があいてしまっており、リースの証言の裏付けとなっているといえる。ところが、同じ清書譜の表紙には、年月の経過により読み取りにくくなっているものの、ベートーヴェン自身の筆跡で「ボナパルトのために書かれた」という走り書きが残されている。また、ナポレオン皇帝即位の報せがウィーンにもたらされた1804年5月20日の約3ヵ月後の日付で「この交響曲は、本当はボナパルトという題だ。」と書いた出版社あての手紙も残されている。これらの出来事の日付と、「ボナパルト」の文字の抹消や鉛筆による走り書きといった事象の時系列的な発生順序は不明ではあるが、おそらくベートーヴェンの気持ちとしては、一度は激昂してみたものの、ナポレオンへの敬愛の念が消えたわけではなかったとみるべきだろう。とはいえ、当時の情勢から見てフランスは敵国とみなされていてため、さすがに憚られたのであろうかナポレオンへの献呈は取りやめ、パトロンの一人であるロプコヴィッツ侯爵へ捧げられることになった。楽譜の出版に際しては、「シンフォニア・エロイカ― ある偉大なる人物の思い出を記念して」とのタイトルが付記され、このときはじめて現在まで我々が親しんでいる「英雄」の副題が登場することになる。それでは、この交響曲において「英雄」として表現しようとしたのは誰のことであったのだろうか? やはりヨーロッパ解放の牽引者としてのナポレオンが念頭にあったのか、人類に叡智をもたらしたギリシア神話の神「プロメテウス」に共感したのか。あるいはまた、人生最大の危機を克服し、新たな音楽家としての蘇生を自覚したベートーヴェンが自らの姿を客観視して重ね合わせたかもしれない。少なくとも、ベートーヴェンは、自己の内面を表現することを作曲という行為の主目的とした最初の音楽家であるといえるだろう。交響曲第3番は、その重要な転換点に位置づけられる。

(Perc 桑原 崇)

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