演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

33回定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2012年6月17日(日) すみだトリフォニーホール 指揮/田部井 剛 ピアノ/伊藤 亜純

レスピーギ組曲「鳥」

オットリーノ・レスピーギはイタリア・ボローニャ生まれの作曲家で、1908年まではヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活躍していました。地元の音楽教師だった父から楽器を学び、ボローニャの大学で作曲や音楽史も学んでいます。1899年に大学を首席で卒業、1900年と1902年の2度に亘り、ロシアのペテルブルグ(現サンクトペテルブルク) にロシア帝国劇場管弦楽団の首席ヴィオラ奏者として赴任し、リムスキー=コルサコフから作曲を学びます。「ロシア5人組」の一人であり「管弦楽法(オーケストレーション)の大家」の異名を持つニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908)は、旋律と伴奏、弦楽器群と管楽器群という古典的な枠を超えて音楽を色彩豊かにすることに成功しました。また、管弦楽法に関する理論的な著書を残したので後進の作曲家たちがその技法を習得できるようになり、本日演奏するストラヴィンスキーもその薫陶を受けた一人です。レスピーギも師リムスキー=コルサコフの管弦楽法を学び、自らの作品に活かしています。
ボローニャへ帰国後、演奏家ではなく作曲家としての活動に本腰を入れたレスピーギは、1913年にはローマの聖チェチリア音楽院の教授に招かれます。こうした環境でレスピーギは2つの作風を確立していきます。ひとつは後述する「ローマ三部作」などのロシアで学んだ管弦楽法を駆使した派手な色彩の作品、もうひとつは「古代舞曲とアリア」のようにイタリアの古いルネサンスやバロック時代の音楽をオーケストラのためにアレンジした作品です。

本日最初に演奏する「鳥」は後者の作風で、1927年に作曲されました。当時既に音楽院の院長になっていたレスピーギは、図書館で古い楽譜を目にする機会に恵まれていて、そうした楽譜の中から鳥のさえずりを模倣した作品を選んで得意のオーケストレーションでアレンジしました。17~18世紀に書かれた古い時代のシンプルな音楽を活かしながら20世紀風に色付けしています。各楽器には表立って判らないような高い演奏技法を要求している部分があり、奏者達は「水上を泳ぐ白鳥の脚」のような努力をしています。

1.前奏曲 オルガニストとして活躍したイタリアの作曲家ベルナルド・パスクィーニ(1637~1710)のアリア2曲をベースにした宮廷音楽風の曲です。後から出てくる「牝鶏」と「郭公」を織り交ぜることで歌劇の序曲のような役割を持たせています。
2.鳩(ハト) フランスの作曲家ジャック・ド・ガロ(1625頃~1695頃) のクラブサン (チェンバロ) 向け作品がベース。ゆったりした旋律を「鳩」が伴奏しますが、この鳩の鳴き声はヴァイオリンが「サルタート」という弓をバウンドさせながら弾く奏法を用いて表現されています。
3.牝鶏(めんどり) フランス人でイタリアでも活躍したジャン=フィリップ・ラモー(1683~1764)の新クラブサン曲集の1曲「牝鶏」が元となっています。冒頭から見事に牝鶏を表現しているラモーの原曲も素晴らしいのですが、レスピーギはそれを生き生きとリメイクしました。
4.夜鶯(ナイチンゲール) 作曲者不詳の17世紀のヴァージナル(チェンバロの一種)のための音楽で、弦楽器の夜風のざわめきと管楽器の「鳴き声」を背景に、ゆったりしたメロディーをチェレスタで彩りを添えながら聴かせています。
5.郭公(カッコウ) 1曲目と同じパスクィーニの「郭公の鳴き声を持つトッカータ」の編曲。民放FMが1990年まで夕方に放送していた「音楽の森」のテーマ曲にも使われていました。原曲のとおり様々にテンポや曲想を変えながら音楽が進行し、最後に冒頭の前奏曲が戻ってきて幕を閉じます。
(Vc.中村 晋吾)

ストラヴィンスキーバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)

イゴール・ストラヴィンスキーは20世紀を代表するロシアの作曲家です。レスピーギと同様、リムスキー=コルサコフから作曲と管弦楽法を学んだストラヴィンスキーは、色彩的なオーケストラの響きを駆使した初期のバレエの代表作3作、「火の鳥」(1910)、「ペトルーシュカ」(1911)、「春の祭典」(1913)を、わずか4年ほどの間に書き上げました。これらのうち「ペトルーシュカ」では、謝肉祭で賑わう19世紀のサンクトペテルブルクの広場の様子と、人形使いの魔法によって命を得る3体の人形が織りなすファンタジーの世界が生き生きと描かれます。
人間の心を持ちながら人間にはなれず、恋もかなわず恋敵のムーア人に斬り殺されてしまう哀れな道化師人形、ペトルーシュカ。不気味な謎めいた幕切れとなる筋書きにも関わらず、聞き終わった印象は、明るくきらびやかな、極彩色の世界に触れた印象が強く残ります。2つの異なる調性が同時に進行したり(ペトルーシュカ調)、2つの拍子が混在する箇所もあり、バレエ初演時(1911年6月13日パリ・シャトレ座)には、音楽の新鮮さと踊りの異様さに戸惑い、批判的な声も上がったと言われています。
演奏面から見ても、小節毎に目まぐるしく変わる拍子や演奏困難な音符が随所に並び、特に管楽器には高度な技術が要求されますが、むしろそれだけに聞き所も多く、様々なイマジネーションを自由に膨らませながら、オーケストラというご馳走が醸し出す様々な味わいを存分に味わうことができる点がこの曲の魅力です。今日では、近現代の管弦楽曲の代表曲として高い人気を集めています。

時代を先取りしたこの作品は、どのように生まれたのでしょうか。それはもちろんストラヴィンスキーの才能がなせる業であることに加え、この曲が生まれた当時のパリと深い関係があります。パリの文化的な下地が、若い作曲者の創作意欲を大きく刺戟し、作品として育て、世に送り出したのです。
19世紀末から20世紀初頭のパリでは、カフェ・コンセール(音楽カフェ)やキャバレーに若い芸術家たちが集い、美術、音楽、芝居をはじめ、文学、ダンスなど様々なジャンルで実験的な芸術活動を行っていました。辛辣な社会風刺やユーモアを原動力として新しい芸術を生み出す勢いがありました。加えて、1909年にパリで旗揚げしたロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の主宰者ディアギレフの名を挙げなければなりません。

天才興行師・ディアギレフは、若く才能溢れる作曲家に次々とバレエ曲の作曲を依頼し、世に送り出しました。ディアギレフに協力した主な作曲家だけでも、ドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、グラズノフ、サティ、ラヴェル、ファリャ、レスピーギ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ミヨー、プーランク・・・。舞踏家や演出家、画家、作家を加えればその作品は膨大かつ豪華なリストとなります。今日私達が楽しむことが出来るバレエ作品の多くが、わずか20年ほどの間に、ロシア・バレエ団とディアギレフによって生まれていることは、まさに奇跡と言わざる人形と人間の心との二面性と、想いを達成できない悲哀を見事に踊り演じ、観客を魅了したと伝えられています。本日の演奏会のチラシ右下に掲載されている写真はニジンスキーの墓で、ペトルーシュカの衣装を着けた彼の像が飾られています。

ディアギレフが、「火の鳥」の成功で名を上げた若きストラヴィンスキーに新作バレエの作曲を依頼した時、ストラヴィンスキーは、ピアノと管弦楽からなるコンチェルトのような作品を書き始めていました。 彼がイメージしていたのは「突然糸をとかれて自由になった操り人形」でした。ディアギレフはこのアイデアをとても気に入り、舞台美術家ブノワに協力させて筋書きを完成させ、ペトルーシュカはこうしてバレエとして日の目を見ることとなりました。このため、この曲にはピアノのソロパートが加わり、特に第1曲のロシアの踊り、第2曲では鮮やかかつ技巧的にピアノが活躍します。また1914年にはピアニスト アルトゥール・ルービンシュタインの依頼によりピアノ独奏曲に編曲され、演奏が非常に難しい曲ながら、しばしば演奏されています。(コミック「のだめカンタービレ」単行本第9巻にも主人公の技量と才能を示すエピソードとして登場しました。)

ペトルーシュカは、今日ではバレエの上演よりも、オーケストラの演奏レパートリーとして定着し数多く演奏されています。指揮者でもあったストラヴィンスキーは、自作のスコアをリハーサルであれこれ手を入れることで有名でしたが、この曲にも少なくとも初演時の1911年版と、作曲家自身によって編曲された1947年版の2種類があります。1947年版は、1911年版と比べてやや小さい編成となり(4管編成→3管編成)、変拍子が整理され、オーケストレーションやアーティキュレーションが改訂されています。新古典主義の影響からかやや室内楽的で尖った響きとなりましたが、曲の長さや聞いた印象には2つの版にはさほどの差異はありません。本日は1947年版で演奏します。

バレエの舞台は、19世紀初頭のロシア、謝肉祭の日のサンクトペテルブルクの広場と人形の芝居小屋。 ロシアの謝肉祭はマースレニッツァといい、復活祭前の40日の断食期間を前にしたお祭りです。
主な登場人物は、3体の人形(ペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人)と、人形使い(魔法使い)、他に、祭の広場の大勢の人々。
「ペトルーシュカ」はロシアに多い人名「ピョートル」の愛称で、また古くからある人形劇の登場人物でもあり、ロシア人にとってはおなじみの名前のようです。バレエは4部からなり、場面の転換時にけたたましく打ち鳴らされる太鼓の連打により、全曲が切れ目なく演奏されます。

第1部:謝肉祭の市場 管楽器のざわめきに乗せて、フルートの軽快な四度跳躍が祭りの雑踏を表現します。大道芸人が広場のあちこちで芸を繰り広げ、酔っ払いがコザックダンスを踊り、場所取りでいざこざが起こり、と祭りの広場の様子が生き生きと描写されます。激しい合奏がロシアの民謡を、木管楽器とチェレスタが手回しオルガンやオルゴールを奏でます。それらの断片が繰り返され、重ねられて盛り上がると、突然ティンパニと小太鼓の連打が鳴り響きます。人々の注目を集め、さあお立ち会い。人形使いが登場し、笛を取り出して吹き始めます(フルートのソロ)。人形使いは、並んだ3体の人形それぞれに魔法をかけますが、先ほどの笛の音で夢見心地になり魔法をかけられたのは観衆のほうかも知れません。人々が注目する中、3体の人形はピクピクッと動き出し、突然、一斉にロシアの踊りを踊り出します。最初はぎこちなく踊っていますが、やがて広場に繰り出てり出します。ピアノも加わり、踊り出したくなるような軽快な音楽となります。突然踊りの音楽は停止してクラリネットとコールアングレのソロとなり、ペトルーシュカがバレリーナに恋心を抱いたことを現しますが、再び華やかなピアノのソロがロシアの踊りを奏で、全奏となって盛り上がります。太鼓の連打で切れ目なく第2部へと続きます。

第2部:ペトルーシュカの部屋 舞台はペトルーシュカの部屋。ペトルーシュカが人形使いに蹴り込まれて来ます。部屋の中は暗く殺風景で壁には人形使いの肖像画が描かれています。短く鋭い序奏の後、不気味なクラリネットの二重奏につづいてピアノが憂鬱なメロディを奏でます。人間になって外に世界に出ることを願い、人形使いを恨んでいるペトルーシュカの様子が描写されています。この箇所で技巧的に活躍するピアノソロは、この作品が当初ピアノコンチェルトとして構想されていたことの証左です。音楽は突然賑やかになります。仄かに恋心を抱くバレリーナが、突然、ペトルーシュカの部屋に入って来たのです。慌てつつ自分の気持ちを伝えようとしますが、冷たくされてしまいます。クラリネットのソロはペトルーシュカの心の叫びです。テンポを上げ、金管楽器中心の激しい音楽となり、トランペットの雄叫びにより、人形使いの肖像に向かって怒りをぶつけます。太鼓の連打で第3部へと続きます。

第3部:ムーア人の部屋 鋭い全奏による序奏の後、打楽器が異国情緒を醸し出すリズムを刻み、クラリネットとバスクラリネットが不気味でユーモラスな旋律を奏でます。コールアングレのソロの後、やや激しい音楽となりますが、この音楽はムーア人が一人で椰子の実と遊ぶ様子を現わしています。ムーア人は、ペトルーシュカと対象的に、部屋を贅沢に飾りソファーに寝転んで遊んでいます。そこへ小太鼓が鳴り響き、バレリーナがおもちゃのラッパを吹きながら部屋に入って来ます(この箇所の鮮やかなトランペットのソロはオリンピック級の超難易度)。ムーア人は最初やや警戒していますが、やがて二人は心惹かれ合い、コミカルなワルツを踊ります。トランペットとフルートが小刻みに奏でるメロディは人形特有のぎこちない動きを表します。ハープの伴奏に乗せ2本のフルートがヨゼフ・ランナーのワルツ「シェーンブルンの人々」を奏でるとバレリーナが踊り、ムーア人は喜んで笑い声を上げます。そこへ突然、ペトルーシュカが乱入して来ます。二人の様子を見て嫉妬に駆られたのです。音楽も激しさを増しますが、ひ弱なペトルーシュカが敵う相手では無く、ムーア人に追い回され、あっさりと放り出されてしまいます。太鼓が連打され、第4部へと続きます。

第4部:謝肉祭の市場(夕景) 再び、冒頭と同じ謝肉祭の市場の夕刻。人々のざわめきは頂点に達し、オーケストラもきらびやかさを増します。オーボエがロシアの民謡を奏で、この旋律が次々に奏でられて盛り上がると、突然、全奏で五連譜のけたたましい連打が鳴り響き、足取りの重たいのっそりとした音楽となります。祭りの広場に、農夫が熊を引き連れて入って来て、さあ大変。人々は驚いて道を空け、よだれをたらした熊を見て卒倒する婦人もいます。2本の高音域のクラリネットが農夫の笛を奏で、テューバが熊の鳴き声を奏します。やがて音楽は再びテンポを上げ、異国の踊り子たちが踊り、祭りが頂点に達したところで、トランペットの甲高い悲鳴が鳴り響きます。突然、3体の人形が舞台に登場。第3部の最後でムーア人に追い回されたペトルーシュカが広場に飛び出してきたのです。素早いパッセージの応酬は、二人の乱闘を表します。ムーア人は大きな刀を振り回して、無慈悲に斬りつけてしまいます。この箇所の楽譜には「タンバリンを落とす」との指示が書かれており、崩れ落ちる人形を現します。クラリネット、ヴァイオリン、ファゴットの寂しげなソロに続いて、ピッコロが最低音域の空虚な響きでソロを奏で、ペトルーシュカは息絶えます。コミカルな2本のファゴットにより、警官が登場。人形使いが、これは殺人ではなく単なるおがくずがつまった人形ですよ、と観衆に示すと、人々は無関心に引き上げます。人形使いも、人形を抱え上げて引き上げようとすると、鋭いトランペットが鳴り響き、屋根の上にペトルーシュカの恐ろしい幽霊が現れます。人形使いは驚いて逃げ出します。曲は唐突に、低弦のファ#のピッチカートで不気味に静かに終わります。

「あれ?終わった?」バレエを見ている観客は狐につままれ、置き去りにされた思いです。こう疑問を残したまま。

 「ペトルーシュカとは、いったい何だったの?」

レスピーギ交響詩「ローマの松」

レスピーギは1917年にトレヴィなどローマ市内にある有名な噴水を表現した交響詩「ローマの噴水」を発表、初演は不評だったものの、翌1918年にイタリアの大指揮者アルトゥール・トスカニーニ(1867~1957)によるミラノでの再演が大成功を収め、一躍名声を得ます。リムスキー=コルサコフから得た管弦楽法を駆使した作品での成功に自信を取り戻した作曲家は、1924年に「ローマの松」、1928年には「ローマの祭」を発表。現在でも高い評価を受けているこの3つの交響詩は「ローマ三部作」と言われています。その第二作でレスピーギが描いた「松」ですが、日本の庭園の真ん中に鎮座していたり、屏風や襖絵に描かれたりするような枝振りのよい黒松や赤松ではなく、「イタリアカサマツ」という別の種類です。私が初めて訪れたローマで勇んでボルゲーゼ公園に出掛け、実際に「ローマの松」を見た際には、カサというよりはホウキのように三角頭のヒョロヒョロした松の樹に肩透かしを食った感がありましたが、レスピーギは、イタリア人にはポピュラーなその松から私のような凡人とは違う印象を感じており、初演の際のプログラムノートにはこう記しています。

 「私は古代の記憶と幻想を呼び起こすために、出発点として自然を用いた。際立った個性でローマの風景を支配して何世紀も生き続けてきた樹木は、ローマの生活や歴史的な事件の生き証人となっている」

楽譜には作曲者自身による曲についての説明が書かれており、詳細を端的に表わしています。4部に分かれていますが4曲続けて演奏されます。
1.ボルゲーゼ荘の松 ボルゲーゼ公園(*1)の松林で子供達が輪になって踊り、兵士ごっこをして行進したり戦ったりして遊んでいる。夕暮れのツバメの群れのように自分の叫び声に興奮しながら行き来している。
2.カタコンブ付近の松 突然場面が変わり・・・我々の眼前にはカタコンブ(*2)の入り口を囲んでいる松林の木陰が現れる。その奥底から、悲嘆に暮れた聖歌が聞こえてくる。そしてその音は荘厳な賛歌の如く大気を漂い、徐々に神秘的に消えていく。
3.ジャニコロの松 風がそよぎ、ジャニコロの丘(*3)の上にある、満月の明るい光に照らされた松が遠くにくっきり見える。ナイチンゲールが鳴いている。
4.アッピア街道の松 霧深いアッピア街道(*4)の夜明け。孤独な松が不思議な光景を見守っている。かすかに聞こえる、おびただしく絶え間ない足音。詩人は過ぎ去った栄光の幻想的な光景を思い描く。ラッパが高らかに鳴り響き、日の出の太陽が輝く中を、古代ローマの執政官の軍団がカピトリウムの丘(*5)に向かう神聖な道を進んで行く。

この作品には独特な管弦楽法が駆使されています。1曲目の「ボルゲーゼ荘の松」では子供たちが遊ぶ情景を描くために高音域だけを使っており、低音を担当する楽器はトロンボーン・チューバ・ティンパニに加えてコントラバスまで全てお休みです。一方で色彩を増すために加えられたピアノ・チェレスタ・ハープのみならず、チェロとファゴットにも高音域だけを要求しています。したがって曲中全くと言っていい程「へ音記号」が出てきません。
2曲目「カタコンブ付近の松」では、休んでいた低音楽器が登場、ヴィオラ以下の低音楽器群を更に細分化して分厚い和音を響かせることで場面転換すると、古い教会旋法を用いたメロディーでローマ時代の殉教者に思いを馳せさせます。舞台裏で演奏されるトランペットソロはグレゴリオ聖歌に基づいています。
3曲目、そよ風を表すピアノのアルペジオで始まる「ジャニコロの松」では、哀しくも美しいクラリネットソロや妖しい雰囲気を醸し出すチェロのソロに続けてナイチンゲールの声が聞こえますが、これはレスピーギが楽譜に指定の音源をホールに流すよう指示しています。出版社がこの楽譜を貸し出す際に、指定の音源も付いてきます(クラシックの作品では、出版社が小売をせずパート譜をセットで貸すやり方で楽譜を提供することが多々あります)。ただ、実際の演奏会では、ホールのスピーカーで音を出さずに、この鳴き声を模した特殊な楽器を使う場合もあります。本日はリハーサルで音を出しながら、本番で客席にどのやり方で聴いていただくか決めることになるでしょう。(蛇足ながら、これまで演奏会後に頂戴したアンケートに多く書かれていたのでこの場を借りて説明させて戴くと、本日もホールに林立するマイクはあくまでも録音用であり、音を増幅させ拡声するためではありません。本日も客席には各楽器の生の音が響いております。)
4曲目の「アッピア街道の松」では、ベートーヴェンの「第9交響曲」第4楽章のトルコ行進曲や、1928年にラヴェルが書いた「ボレロ」同様、一定のテンポで徐々に楽器の数と音量が増えていくという手法を用いています。遠くから聞こえてくる行進の音が徐々に近づいて来て、最後はパイプオルガンや、ステージ外に配置される(本日のリハーサルで吹く場所を決めるので、これを執筆している時点ではまだどこに配置されるのかわかりませんが)金管楽器のファンファーレまで加えて壮大に曲を結びます。
晩年をローマで暮らしたレスピーギは「ローマ帝国の首都」(つまり当時は”世界の首都”)に深い思い入れがあったようで、第一次世界大戦後の暗い世相の中で強いローマの復活を望んでいたのかもしれません。この作品は吹奏楽でも編曲されてコンサートやコンクールでよく取り上げられるので特に管楽器奏者には有名です。精緻なオーケストレーションで細密画のような「ローマの噴水」と、極彩色で文字通り派手なお祭り騒ぎをする「ローマの祭」との間に書かれたこの作品には両方の作風が混在しており、ドビュッシーやベートーヴェンが描いたような月夜の美しさを讃える繊細な歌と、金管楽器が咆哮する興奮との両方が堪能できる作品です。レスピーギの代表作と言っていいでしょう。

筆者注)
*1) 17世紀に造られたボルゲーゼ家の別荘に付随する、森や噴水もある広大な庭園
*2) 初期キリスト教の墓所
*3) 古代ローマ時代にローマ神話の出入り口の神・ヤヌスを祭った、ローマの南西に位置する、市街で2番目に高い丘
*4) 「すべての道はローマに通じる」と言われる古代でも現代でも重要なローマの幹線の中で「街道の女王」の異名を持つ、地中海に面するイタリア南部の港湾都市ブリンディジからローマに向かう街道
*5) 勝利の凱旋をした古代ローマ時代の聖地

(Vc.中村 晋吾)

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