演奏会の履歴

日立フィルで過去に取り上げた作品を演奏会別にご紹介しています。

35回定期演奏会(曲名をタップ/クリックすると解説文が表示されます)

2013年8月4日(日) すみだトリフォニーホール 指揮/新田 ユリ

ワーグナー楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死

 今年生誕200年を迎えたリヒャルト・ヴァーグナーが1849年のドイツ革命運動参加でお尋ね者となり、スイスへ亡命した頃のお話です。
 当時すでに『リエンツィ』や『タンホイザー』が成功していたヴァーグナーは、チューリヒの豪商オットー・ヴェーゼンドンクに招かれて、彼の自宅隣の家を提供されたのですが、そこでなんとヴァーグナーはヴェーゼンドンクの妻マティルデと道ならぬ恋に落ちてしまいます。二人の仲は親密さを増し、ヴァーグナーはマティルデの書いた詩に曲を付けます。これが『ヴェーゼンドンクの5つの歌』で、うち1曲は彼女の誕生日に窓越しに演奏されたのだとか。 このような状況で『トリスタンとイゾルデ』は作曲されました。中世の伝説に基づく4時間のオペラを紙面の都合でごく簡単に説明すると…
 アイルランドの王女イゾルデは、海を渡ってイギリス南西端コーンウォールのマルケ王に嫁ぐこととなり、マルケ王の甥トリスタンが迎えに行きます。実は以前にトリスタンはイゾルデのかつての婚約者を決闘で殺していましたが、そうとは知らぬ彼女から決闘で負った深手の治療を受けていました。共に惹かれながらも片や婚約者の敵、一方は妃という王への貢物。結ばれない恋であることを悲観したイゾルデはトリスタンに「和解の印」と騙して毒薬を飲ませ、残りを自分が呷ります。ところがその薬はマルケ王とうまくいくように準備されていた媚薬だったからさぁ大変。寵臣と妃の不義密通はマルケ王の知るところとなり、トリスタンは不忠に憤る親友の剣で重傷を負います。イゾルデと引き離された瀕死のトリスタンは、治療にやって来るイゾルデの船を想像し錯乱しながら死んでしまいます。ここでようやくイゾルデ登場。腕の中で亡くなった恋人の死を悲しみ、自らもトリスタンに覆い重なり息絶えます。
 媚薬という要素がなければ、現在のゴシップ記事に近いような気もするお話なのですが、ヴァーグナーにとってはマティルデとの愛を描くにうってつけの題材だったのでしょう、1857年8月からわずか1か月で台本を仕上げると、第1幕を翌1858年4月にチューリヒで完成、第2幕を1859年3月にヴェネツィアで、第3幕を1859年8月にルツェルンで書き上げました。第2幕以降がチューリヒで書かれなかった理由は、マティルデとの関係がヴァーグナーの妻ミンナとヴェーゼンドンクの知るところとなり、ミンナは一人ドイツに去り、ヴァーグナーはヴェーゼンドンクが提供する(!)ヴェネツィアの家に移ることとなったからです。初演は場所や歌手、資金などの確保ができず、1865年にようやく行われました。
 前奏曲の冒頭で出てくる木管の最初の和音(F-H-Dis-Gis)は「トリスタン和音」と名付けられるほど有名で、次にどの調に行くのかわからない宙ぶらりん状態が、聴くものに緊張を強います。またチェロとオーボエによるメロディーラインの半音階進行も不安を感じさせます。不倫の愛は刺激的で安心は禁物ということでしょうか。やがてチェロがようやくメロディーを演奏し始めますが、今度は全音階進行で(A-H-C-D C-D-E-D D-E-F-G)「眼差しの動機」と呼ばれています。れは前出『ヴェーゼンドンクの5つの歌』にも使われていて、上昇していく音階が愛の昂揚を表しているのですが、マーラーがこの動機を使って書いたのが、本日後半に演奏する交響曲第5番の第4楽章のメロディー(C-D-E-F F-G-A-G G-A-B-C 但し最後の1箇所を除いて6つ目の音はG→Bに変更 譜例③)です。音楽はどんどん高まりテンポも徐々に上がってピークを迎え、やがて音の波は静まっていきます。

 続いて第3幕の最後の部分『愛の死』が演奏されます。トリスタンに対する愛情と、すべてを受け入れた諦観を歌うソプラノの裏で、オーケストラはかくも神々しい音楽を演奏します。筆者が高校生のとき、所属していた吹奏楽部でこの曲を取り上げようとしましたが、当時指揮を任されていた筆者には、トリスタン和音も官能的な音楽も、ストーリーすら全く理解できず撃沈。それから30年が経ち、解説を書きながら思うのは「そりゃあアノ頃のボクちゃんにはわからないでしょうよ」
ちなみにヴァーグナーのその後の人生を簡単にご紹介すると、『トリスタンとイゾルデ』初演の頃、敬愛するフランツ・リストの娘コジマを、初演の指揮者ハンス・フォン・ビューローから略奪。1865年に不倫状態で生まれてきた娘にイゾルデという名前をつけて、1870年にコジマと再婚。妻を失ったビューローはヴァーグナーと決別し、ブラームス派へ鞍替え。
…この両者の心境は……一生考えたくないですねぇ。
(チェロ 中村 晋吾)

マーラー交響曲第5番 嬰ハ短調

楽曲の解説の前に、この曲を取り巻いていた環境について、お話しておきたい。11曲の交響曲(1曲は未完)を残した作曲家マーラーの作品の中で、公私に亘る背景の影響を最も受けているのが、この曲であると考えるからである。交響曲第5番は、1901年から翌1902年にかけて作曲され、1904年にマーラー自身の指揮により初演された。つまり、退廃的な「世紀末」が終焉し、新世紀が始まろうとしている激動の時代に、この曲は誕生した。この時期はマーラー自身にも大きな出来事が起きている。一つはウィーン・フィルの常任指揮者を辞任したこと。もう一つはアルマ・シントラーとの出会いと結婚である。
 「マーラー版」とも言えるほど大胆にオーケストレーションにメスを入れて、ベートーヴェンやシューマンの交響曲を演奏し、自作のみならず、ブルックナーやリヒャルト・シュトラウスといった当時の「現代音楽」を盛んに採り上げた指揮者マーラー。しかし、彼の行為は保守的な聴衆や評論家の反感を招いてしまう。オーケストラのメンバーに、激しい気質を剥き出しのままぶつけてしまったことも災いした。こうして、彼はウィーン宮廷歌劇場の音楽監督の地位は保ちながらも、ウィーン・フィルの常任指揮者の座を追われたのである。
 一方のアルマ。1901年にサロンのパーティーで二人が出会った当時のマーラーは41歳。作曲の才能に長け、ウィーン社交界の名花といわれたアルマ・シントラーは22歳。出会いからわずか1ヶ月足らずでマーラーはアルマに求婚する。翌1902年3月に二人は結婚。この年の10月には長女が産まれる。わずか10年間の結婚生活の中で、建築家グロピウスとの不倫の恋に走り、晩年のマーラーに精神的な大打撃を与えた「運命の女(ファム・ファタール)」アルマ。それと同時に、「生きるために指揮し、作曲するために生きた」といわれた彼のミューズでもあったアルマ。彼女との結婚は、当時のマーラーの創作意欲を大いにかきたてたことであろう。
 「世紀末芸術」の総本山であるウィーンで、宮廷歌劇場の音楽監督を務めていたマーラー。19世紀の終焉と20世紀の幕開けを強く意識していたことは想像に難くない。不安や苦しみ、悲しみや痛みといった精神と肉体の周囲に存在する苦悩から、明るい未来への開放と勝利へという「暗から明へ」の構図を、葬送行進曲で始まり輝かしい金管のコラールで幕を閉じることにより描いたこの作品は、このような背景の中で作曲された。全体は3つの部分に分かれ、苦悩を表現した第1部と、明るいワルツによる間奏曲のような第2部、勝利を表す第3部により構成されている。
第1部
第1楽章:葬送行進曲 整然とした歩調で、厳粛に、葬列のように
 ソロ・トランペットのファンファーレにより葬送行進曲が始まる。何に対しての葬送だったのだろうか。過ぎ去ってゆく19世紀か、あるいは最愛の女性と出会う前の作曲家自身か。続いてヴァイオリンが奏でる悲しげな主題と、葬送行進曲のテーマが様々に変貌しながら交錯する。ビオラとトランペットという珍しい組み合わせのデュエットなどを経て、トロンボーンの呼びかけに応えたフル・オーケストラによる慟哭の後に、冒頭のファンファーレが回想され、最後はフルートに引き継がれて消えるように終わる。
第2楽章:嵐のような動きで、極度の激しさをもって
 力強く激しい第1主題の後に、チェロによるゆったりとした第2主題が提示される。これら二つの主題が展開され、その間に様々な主題がコラージュ風に織り合わされると、やがて金管楽器による輝かしいコラールが鳴り響く。ここで初めて登場するハープの印象的なグリッサンドが、ブラスセクションの音色に華を添える。しかし、この勝利が幻に過ぎないことを象徴するような妖しげな雰囲気に場面転換し、やはり静かに楽章は終わる。
第2部
第3楽章:スケルツォ 活発に、速すぎず
 第1楽章がトランペットの音楽であるのと同様に、いやそれ以上に、この楽章はホルンの音楽である。オブリガート(主旋律に彩を添える副次的旋律)・ホルンが他の4本のホルンを従えて、楽章全体の女王として君臨する。
4本のホルンの露払いの後にソロ・ホルンが吹き鳴らすオブリガート主題に続き、木管楽器がワルツの主題を楽しげに奏でる。この主題と、後に弦楽器にあらわれる優雅な舞曲を中心に音楽は広がっていく。途中、3本のクラリネットが一人ずつ順番にベル・アップしてファンファーレを吹く場面が2回(2回目はオーボエも加わる)あり、管楽器のベル・アップ奏法を効果的に活用したマーラーが、ほくそ笑みながら筆を進めている様子が眼に浮かぶ。オブリガート・ホルンの2度目のカデンツァの後、大太鼓のソロに導かれたフル・オーケストラのコーダで華々しく楽章は終わる。
第3部
第4楽章:アダージェット 大変遅く
 マーラーの交響曲の中で最も有名なのがこの楽章であろう。その旋律は、ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』を筆頭に、数多くの映像芸術の音楽として用いられ、人々を魅了する。それまでの大編成のオーケストラから一転し、弦楽合奏とハープのみで演奏されるこの楽章は、一仕事終えた管打楽器の奏者が、やがて訪れる嵐の前に束の間の休息を取る癒しの時間でもある。
第5楽章:ロンド ― 終曲 アレグロ・ジョコーソ、さわやかに
 夢のようなアダージェットの世界に浸っていた我々を、優しく起こすかのようなソロ・ホルンの呼びかけでこの楽章は始まる。目を覚ましたファゴットやオーボエ、クラリネットによるユーモラスな序奏に続いて、ホルン・アンサンブルによりロンド主題が提示される。ロンドとは、異なる副主題を間に挟みながら同じ主題(ロンド主題)を何度も繰り返す形式であり、第1楽章もこの形式で作曲されている。チェロが奏でる軽快な第1副主題と、木管アンサンブルによる優雅な第2副主題がロンド主題に絡まり、アダージェット楽章の回想も交えながら、対位法(複数の旋律を調和させつつ同時に提示する書法)を駆使して曲が展開していく。クライマックスでは、第2楽章の後半で蜃気楼のように浮かんで消えていった金管楽器によるコラールが、勝利を確信するかのように、より壮麗に再現される。その高いテンションを維持したまま、オーケストラ全体が加速し、最後にトランペットがロンド主題を煌めかせて全曲の幕を閉じる。
(トランペット 手塚 晋)

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