演奏会の履歴
第52回定期演奏会2022年2月12日(土)すみだトリフォニーホール大ホール
指揮/田部井 剛
曲目/ 「威風堂々」や「愛の挨拶」で有名なエルガーですが、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。彼はイギリスのウスター生まれです。イギリスといえば「英国紳士」のイメージが湧きますが、彼の家は特段お金持ちというわけではありませんでした。楽器商を営みながら、ヴァイオリンとオルガンを演奏していた父の影響で、エルガーは幼いころからヴァイオリン演奏や作曲を始めていましたが、音楽院へ行くお金はなく、一度は弁護士事務員として働いていました。その後事務員を辞め、父の元で働きながら作曲や指揮の活動をしていくエルガーですが、ヴァイオリンのレッスンの他に、音楽教育を受ける機会はなかったそうです。 1802年、ベートーヴェン32歳の頃の作品である。ベートーヴェンの他の交響曲と比較すると、決して知名度は高いとはいえない。しかし、難聴が悪化し「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く年と同年の作品であることから、ベートーヴェンをより深く知るために重要な交響曲であるといえる。 1888年に発表された5番目の交響曲。最初期のスケッチには次のようなチャイコフスキーの言葉が残されている。「序奏。運命の前での、あるいは同じことだが、人に計り難い紙の摂理の前での完全な服従。1.不満、疑い、不平、非難。2.信仰の抱擁に身を委ねるべきではないか???《慰め》《ひとすじの光明》《いや、希望はない》」バッハ(エルガー編曲):幻想曲とフーガ ハ短調
1889年、32歳になったエルガーは、当時ピアノを教えていた8歳年上のキャロライン・アリス・ロバーツと結婚します。婚約の際にエルガーがアリスに送った曲が「愛の挨拶」です。結婚後のエルガーは作曲家としてのキャリアを積み上げていきます。1899年に「エニグマ変奏曲」、1900年にはオラトリオ「ゲロンティアスの夢」を発表。リヒャルト・シュトラウスから直接賛辞を贈られるなど作曲家の評価は高まります。さらに、「威風堂々第1番」(1901年)をはじめ、交響曲第1番(1908年)が初演からの1年間で100回以上演奏される大ヒット曲になるなど、大英帝国を代表する作曲家の名声と、1904年には「サー」の称号を得て地位も確立します。そして1921年、前年に妻アリスを亡くした66歳のエルガーは、今回演奏する幻想曲とフーガを編曲します。幻想曲とフーガは、ワイマール時代( 1708~1717 )の若かりしバッハが作曲したもので、この頃には有名なトッカータとフーガ ニ短調BWV565をはじめとした、多数のオルガン曲が作曲されています。
原曲の譜面はオルガン向けに書かれているため、6/4拍子の五線が3段並ぶだけ。音の強弱や曲の速度に関する記号も、何一つ書かれていません。それに対して、エルガー編曲版は30段近くのスコア(総譜)に pppから fffまでの指示。アクセントや S も盛りだくさん。今日の演奏を聴いていて、音が大きくなったり小さくなったり、早くなったり遅くなったり、一々強調されていたりしたら、それは全てエルガーの仕業なのです。記号だけでなく音符も、原曲からたくさん足されています。前後と比べてやたら細かい音符が聴こえてきたらそれもエルガーの仕業です。幻想曲は、拍子も6/4から3/4に書き直され、原曲の小節をそれぞれ半分に区切った形になっています。もしも元の拍子のまま書かれていたら、一小節の中に音と記号があふれかえって大変なことになっていたでしょう。
ここで一度顔を上げて、ステージを眺めてみてください。たくさんの楽器が見えますね。バッハの曲で大太鼓なんて、一体どこで使うのでしょうか。クライマックスでドーンと一発…かと思いきや、曲が始まってすぐティンパニと仲良く出てきます。後半のフーガに入ると他の打楽器も出てきます。どれももちろん、原曲には存在しない音と楽器たちです。どの楽器がいつどういう使われ方をするのかとドキドキしながら、耳だけでなく、目でも是非この曲を楽しんでいただけると幸いです。(ヴァイオリン 北 顕弘)ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 作品36
ベートーヴェンは、難聴の静養のために、1802年4月半ばからウィーン郊外の村、ハイリゲンシュタットに滞在した。同年10月、2人の弟宛に遺書を書いた。その遺書では「(聴こえないことは)何という屈辱だろう」「ほとんどまったく希望を喪った」と絶望を表現している。さらに、「みずから自分の生命を断つまでには、ほんの少しのところであった」との真情を吐露している。
音楽家にとって致命的な病気を患い、追い詰められた時期に書かれたのが交響曲第2番である。しかし、悲壮感が漂う作品であろうという予測は、見事に裏切られる。この交響曲はニ長調という華麗で明るい響きに満ちた調で書かれ、どの楽章も深い悲壮感や死の影に包まれてはいない。その謎は、遺書を読み進めていくと次第に解けていく。ベートーヴェンは「私を引き留めたのは、ただ芸術である」、「自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないで、この世を見捨ててはならない」と死の淵から這い上がり、生きる決意を表明したのだ。楽聖ベートーヴェンは音楽から救いを受けていた。その後、自らの生を全うするまで、珠玉の名曲を世に出し続けたベートーヴェン。この時期がなくては、その後の偉業はなし得なかったのである。
第1楽章
33小節からなる大規模な序奏と、ソナタ形式の主部からなる。冒頭はニ長調主音のD(レ)音が迫力のあるffで響き、一瞬で聴衆を惹きつける。続いて穏やかな旋律を奏でるオーボエとファゴットが弦楽器と対話をし、転調を含みながら進んでいく。序奏の終わりの第1ヴァイオリンの急下降の後、主部の第1主題に入る。ヴィオラ、チェロ、コントラバスによるリズミカルな第1主題と、木管楽器による行進曲のような第2主題が相まって、心踊るような気持ちになる。展開部では第1主題と第2主題がさまざまな形で現れ、華やかなコーダをもって締めくくられる。
第2楽章
叙情的な美しい旋律の緩徐楽章。速度指定はラルゲット。ラルゴよりやや早くという表記である。そのためか、色彩的な和声に爽やかさが感じられる。讃歌を想わせる第1主題は弦楽器により穏やかに開始され、木管楽器に移行される。ホ長調に転じた第2主題は第1ヴァイオリンによって奏でられる。展開部は多彩な和声転調を織りなす。再現部は楽式に従い第1主題および第2主題を再現した後、コーダに向かう。クラリネットとファゴットの音色が、あたたかな彩りを与えている楽章である。
第3楽章
スケルツォ、トリオ、スケルツォによる複合3部形式。ベートーヴェンの交響曲における最初のスケルツォである。スケルツォでは、弦楽器と管楽器が3つの音符からなる部分動機を急速に交替演奏することや、鋭い fや突然の pの対比があることが特徴的である。スケルツォ(滑稽、冗談)という意の通り、独特なユーモアのある楽章である。なお、トリオの主題は、後の交響曲第9番第2楽章のスケルツォのトリオに姿を変えて転用されているのも興味深い。
第4楽章
エネルギーに満ち溢れた明るい楽章である。随所にベートーヴェンの音楽によく見られる刻みが用いられ、曲調に躍動感を与えている。冒頭の第1主題は、しゃっくりのようなユニークな総奏と、第1ヴァイオリンの主奏からなる。この主題は、転調をしながら再現されていく。クラリネットとファゴットのユニゾンによって奏される第2主題には、弦楽器がスタッカートで伴奏し、陽気な軽快さが表れている。特筆すべきは、この楽章全体の3分の1を占める大規模な構成を持つコーダである。主題を発展させることで高揚感を与え、 ffでクライマックスを迎えたと思いきや pになり、弦楽器により忍び足のような緊張感を持った後に、輝かしい終わりに向かう。
以上のように、交響曲第2番は全楽章に渡って形式的配置の構造を取っている。そのため、演奏者は整然とした感覚を得ることがある。220年もの前の音楽が、混沌とした時代に身を置く私たちに訴えかけてくるものがある。難聴による絶望から這い上がる強烈なエネルギーを持ち、この時期であっても恋愛にも積極的であったベートーヴェン。時代が急速に進む中で、何が起きても右往左往せず純然と使命を全うせよ、でも、ユーモアや情熱も忘れないように、とベートーヴェンが語りかけてくるような曲である。(ヴァイオリン 吉永 留美子)チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64
交響曲第5番は、「運命の主題」と呼ばれる主題が全楽章を通して登場する。第1楽章冒頭でクラリネットにより暗く死を予感させるように提示されるこの主題は、様々な調、テンポ、楽器によって奏でられその時々で違った様相を見せる。「運命の主題」と最初と最後で同じ場面を持つ「アーチ(弓形)」形式は統一感と均整が取れて美しい。魅力的な旋律群とわかりやすい音楽は時代を超え広く聴衆そして奏者に愛され、今日最も演奏機会の多い交響曲の1つとなっている。演奏機会が多いからか、チャイコフスキーの音楽の度量が大きいからか、指揮者や奏者、コンサートごとにテンポや歌い込み方、リズムの取り方に色が出やすく、聞き比べるのも面白い。本日の演奏がどのようなものになるか、楽しみにお聞きください。
第1楽章
2本のクラリネットによって提示される冒頭の「運命の主題」は死を予感させる。その後、弦楽器によって刻まれる重苦しい行進曲調の伴奏に乗って演奏される第1主題は「運命の主題」から派生したものである。第1楽章ではこの第1主題群と、流麗な第2主題群、5度で飛び跳ねるリズムが絡み合い曲を構築していく。転調を繰り返しながら発展していく中で、束の間の安息と栄華が訪れるが、最後は冒頭の行進曲が再来して第1主題を伴い下降し、谷底に落ちていく様に曲は終わる。
第2楽章
第2楽章は特に美しい旋律、伴奏を多くもつ名曲である。弦楽器で丁寧に和音が進行し深い霧が晴れると夢見るようなホルンのソロが現れる。波が満ちては引くような、美しく深い旋律は木管楽器と絡み合いながらチェロへと引き継がれる。感情が頂点に達したところで一瞬の静けさの後、カノン風の旋律を力強く熱的に弦楽器が歌い上げる。伴奏群も熱狂的に高揚していき、まさにオーケストラ全体で歌っている場面である。第2楽章は全曲を通して感情豊かで人間味に溢れておりテンポや音量の伸縮が激しいが、途中現れる「運命の主題」は人間性と対抗するかのように機械的である。トロンボーンによって突如もたらされる「運命の主題」は夢見心地な余韻をかき消す。嵐が過ぎ去った後に現れる弦楽器の旋律は波打ちながら引いていき穏やかな静寂の中で曲を終える。
第3楽章
スケルツォの代わりにワルツが置かれているが、スケルツォ的な色合いも残しており優雅さと軽妙さを持つ楽章である。ヴァイオリンによる優麗な旋律で始まるがこの時伴奏は1拍目が欠けておりどこか不安定さを感じさせる。このリズム的な不安定さは第3楽章を通してあり、聴衆を(そして奏者を)惑わせる。特に中間部の16分音符のパッセージは3/4拍子の中に2/4拍子が組み合わさったポリリズムでありスケルツォ的印象を強く与える。優雅な旋律と拍感のギミックの対比が交響曲中のワルツならではの面白さを引き出している。コーダ後半でクラリネットとファゴットによって第2楽章以来息を潜めていた「運命の主題」が物憂げに流れると唐突な ffで曲は終了する。
第4楽章
弦楽器によって第1楽章冒頭と同様のテンポで「運命の主題」が奏でられる。しかしながら第1楽章の陰鬱とした死の予感を感じさせるものではなく、ホ長調の温かい和音から始まる荘厳な性格に変容している。凱旋歌のような冒頭の後、ティンパニのトレモロに導かれてAllegroVivaceで荒々しく主部が始まる。猛烈な勢いで曲が展開していき壮大なクライマックスを迎え、ホ長調の属和音で一度音楽は停止しコーダを迎える。コーダでは「運命の主題」が凱旋行進曲のように高らかに鳴り響き、金管楽器によって第1楽章の第1主題が回帰する。そこには第1楽章冒頭の重苦しい死の影はなく輝かしい歓喜と力強い生命力で満ちている。この強固な勝利の表現に対し「大げさ」「虚栄」といった批判もあり、作曲者自身も「不誠実でわざとらしい」と悲観しているが、苦しみの中での勝利・希望への渇望は過剰なものでも良いのではないだろうか。近年日常は悲観と諦観で満ちている。困難の中にあるからこそ、勝利と希望に満ち溢れた歓喜の音楽をお届けしたい。
参考文献:音楽之友社『チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調 作品64(OGT 2121)』 森垣桂一
(ホルン 坪田 彩花)