演奏会の履歴

第55回定期演奏会

演奏会チラシ

2023年8月19日(土)東京芸術劇場コンサートホール
指揮/新田 ユリ

曲目/

F.リスト:交響詩《前奏曲(レ・プレリュード)》

 どの界隈においても「天才っ!」はいるものでして、たとえば成立から200年近く経過しても現代のオーケストラに「この曲しましょうや!」と名指しにさせる曲を発表するような作曲家も当然その一人なのです。
 「レ・プレリュード」を作曲したリストも、例に漏れず強い存在感を発する天才でした。それも、父親の手ほどきを受けてピアノを始めるや否や才覚を発揮し、ハンガリー出身という「よそ者」のハンデをものともせずヨーロッパ各地で演奏会を開いて回るほどです。
 眉目秀麗でもあったことから演奏会のたびに女性から歓声は上がりプレゼントは宙を舞い、演奏を聴いて失神する人もいたそう。なんならリストを王として国を復興しようとの声さえ上がったとか。なんとも凄まじい才能ですね。ちょっとうらやましいです。
 一方、それだけ才能を持ちながらも36歳でピアニストとしての職や収入(1回の演奏会で平均年収に相当する額)を捨て、ワイマールで宮廷楽長としての仕事をはじめます。今でいう公務員のようなものですが、華々しい舞台の上で彼は何を感じていたのでしょうか。
 当時は19世紀。フランス革命に続く各国での政権闘争の中、彼は様々な理由で居を転々としました。産業革命を皮切りとした資本主義の黎明期でしたから、「精神性」に基づいた貴族主義を離れ、「もの」を持つか持たないかによる「より広範の」「形而下的な」断絶が生まれつつあるときです。
 音楽の天才といえばモーツァルトですが、彼が生きていた18世紀は、いかに天才でもパトロンを見繕うことくらいしかできませんでした。ところが、リストの 時代は音楽「市場」がまさに立ち上がらんとしている瞬間といえるかもしれません。
 彼を使って「もの」を生みだすことや、「もの」を使って彼を引き付けようと周囲の人間が躍起になっていることに、彼自身はほとほとあきれ返ってしまったのかもしれません。それに加え、彼は8年間に1,000回もの演奏会を行いましたが、それもヨーロッパ各地を回りながらでしたから、彼の心身への負担が尋常でないことは想像がつきますね(我々は8年換算では演奏会は20回弱。大変健康的です)。彼自身もその生活のなかで死を覚悟し、遺書を書いたこともあったほどでした。
 この生き方を脱し宮廷楽長として作曲や指揮、ピアノ講師を中心とした活動を始めた彼。当初はピアノ曲の作曲や編曲が主体でしたが、のちに管弦楽曲にも着手し、その中で「レ・プレリュード」も作曲されました。「プレリュード」とは「前奏曲」のことを指し、元々は依頼を受けて作成していた「四元素(地・水・火・風)」、4つの合唱曲の前奏曲という立て付けで作曲されていましたが、どういうわけか彼はその合唱曲を世に送り出すことなく(1曲のみ演奏したようですが)、この前奏曲のみを一つの曲として出版したのでした。
 彼がそのような行動に至った心理は想像するしかありませんが、少年のころから演奏で忙殺され、宗教への興味も深かったことから、彼の死生観は円熟したものだったのかもしれません。この曲のテーマとされる「瞑想詩集」の中に「人生とは死への前奏曲である」というフレーズがありますが、「前奏曲」と銘打たれたこの曲は「人生そのもの」と言えそうです。また、同詩集のなかに「幸福の最初のときめきが遮られない運命が果たしてあるだろうか?」ともあり、彼の目まぐるしい人生観やこの曲を残したかった彼の想いが見えてくる気がします。(ところで、当演奏会のメイン曲もなんだか似たテーマで作曲されているみたいです…!)
 彼は自身の思想に対する無理解(ほか、火遊びも一因)によって47歳のときに宮廷楽長としての仕事もやめてしまいますが、74歳で生涯を閉じるまで様々な苦難に見舞われつつも、慈善演奏会や(往々にして無償の)ピアノ教育に力を尽くしました。
 栄光を極めつつも深い疑念を持ち考え抜いた結果、自分の使命として「貢献」の二文字を死ぬまで貫いた彼。「ずいぶん物好きねぇ」と言いたくなりますが、激動の人生を送った天才の結論が「与え続けること」であったことを心に刻みたいものですね。
(クラリネット 北橋 玲実)

G.マーラー:交響曲第9番ニ長調

【作曲の背景】
 グスタフ・マーラー(1860-1911)の人生において、1907年は大転換期であった。7月に4歳の長女マリアを亡くし、自身も重い心臓疾患の診断を受けたのだ。また、自作の指揮等により不在にしがちだったため批判を受け、10年務めてきたウィーンの音楽監督を辞任し、同年のうちに初めてニューヨークに渡っている。
 こうした状況と無常観が描かれた中国の詩に感化され、これ以降作曲した「大地の歌」「第9番」「第10番」は“死・告別”がテーマとなっており、この3曲は「死の三部作」と言われている。その中でも本作は特に厭世的な印象が強い(筆者主観)が、それは必ずしも哀しいものではない。死が近いと悟りつつも、これまでの人生や家族、音楽に感謝するという“前向きな別れ”なのである。ただ、彼は心臓疾患の診断を受けていたものの、ニュー ヨーク時代は最後の数か月を除けば極めて壮健だった。「作曲をする指揮者」であった彼は、メトロポリタン歌劇場やニューヨーク・フィルの指揮台に精力的に立ちつつ、船便のみの時代に大西洋を何度も往復し、3つの大曲を手がけたほどである。死の恐怖に筆を折ることなくこの素晴らしい作品を完成させ、人生の最後を猛烈に駆け抜けた彼に改めて感謝したい。ありがとう、グスタフ。

【楽曲について】
第1楽章 アンダンテ・コモド ニ長調 ソナタ形式
 かのバーンスタインが不整脈にたとえたチェロとホルンのリズム動機やハープによる鐘の動機などが断片的に提示され、第2バイオリンがため息のような第1主題を奏でる。これは「大地の歌」の中でソリストが「永遠に」と歌いかけるフレーズの引用(更に遡るとベートーヴェンの「告別」にたどり着く)。やがてティンパニを合図に第2主題が始まり、しだいに音量が増し、トランペットを契機に第1主題が反復される。初回は隣り合う音程(ファ#―ミ)だったが、ここでは1音目が1オクターブ上がっている(ラ―ソ)。第2主題も反復されると、シンバルに導かれて激しい第3主題が現れる。これは彼の「交響曲第1番」の引用(マーラーは、自作や他作を様々な形で引用している)。死を悟った祈り(第1主題)の中、生への執着が頭をもたげ(第2主題)、狂おしい叫び(第3主題)に達し、クライマックスを迎える。ここまでが提示部。
 ティンパニが残り、展開部が始まる。ホルンが冒頭のリズム動機を示し、トランペットとトロンボーンが引き取る。鐘の動機も様々な楽器に引き継がれ、トロンボーンとホルンが「ため息」を奏でる。陰鬱な雰囲気の中でハープが鐘の主題を反復し、死からは逃れられないことを暗示しつつ、第1主題がヨハン・シュトラウス「楽しめ人生を」に似せて現れる。なんとも皮肉である。しかし、弱音器付きのトランペットを合図に雰囲気が一変し、「弱音器なし」のファンファーレが後を追う(それぞれマーラー自身の「第1番」「第7番」の引用)。第3主題を経て、展開部最初のクライマックスを迎えたのち、バイオリンによる第2主題に続き、ホルンによる「ため息」が繰り返される。弦楽器が不気味な雰囲気を演出するが、フルートとクラリネットの滑らかな鐘の主題、バイオリンソロとホルンによって穏やかに場面転換する。各主題が見え隠れする中、トランペットの合図による第2主題と、それに続く木管楽器の第3主題で生への願いが歌われるが、銅鑼を伴ったトロンボーンとチューバがそれを叩き切る。ここは「最大の威力をもって」と指示され、トロンボーンはベル・アップする。ティンパニが鐘の主題を打ち、低音の鐘に引き継がれるが、これはまさに葬送行進曲の弔いの鐘である。ここまでが展開部。
 再現部は、冒頭と同じく第1主題で始まるが、ティンパニとハープは葬送行進曲の続きにも聴こえる。各主題が様々な楽器で現れつつ、場面は一転。「突然、目立って遅くして。かつ静かに」と指示され、木管楽器とバイオリンがソロを引き継ぎ、それからチェロとコントラバスの上で、フルートとホルンが妙技を披露する。蜘蛛の糸を渡るようなこの場面は、長大なこの楽章の中で最も印象深い(諸説あり)。やがて弦楽器による第2主題が現れた後、ハープの分散和音に導かれ、ホルンが第3主題を穏やかに奏でる。フルートとオーボエのため息を挟みながら、ホルン、E♭クラリネット、そして「漂うように」と指示されたフルートのソロが続く。オーボエとバイオリンソロの対話に続いて長いため息が続き、最後はピッコロとチェロが響きを残して終わる。

第2楽章 落ち着いたレントラーのテンポで ややぎこちなく かなり粗野に ハ長調
 3種類の舞曲が組み合わされた楽章。
A.ビオラとファゴットによる序奏に続き、第2バイオリンが武骨なレントラー舞曲(ドイツ南部のゆったりとした踊り)を奏で、木管楽器とホルンが花を添える。
B. 速いテンポのワルツ。楽器の数が増え、それまで沈黙していた打楽器やホルン以外の金管楽器も参戦する。
C. ゆったりとしたレントラー舞曲。弦楽器の支えを伴ったホルンとファゴットのデュエットで始まる。「ため息」の変形。
 これらがABCBCABAの順に現れ、最後はピッコロとコントラファゴットによる音階で楽章を閉じる。
第3楽章 ロンド・ブルレスケ アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に イ短調
 ABABACAの順に主題を繰り返すロンド楽章。伝統的な4楽章構成であれば緩徐楽章がくる第3楽章に、マーラーはテンポの速い楽章を据えた。舞曲と快速楽章を長大な緩徐楽章で挟む構成は、チャイコフスキー「悲愴」と関連か。
 短い動機がトランペット・弦楽器・ホルン・木管楽器・全管楽器の順に現れる。ここの弦楽器と木管楽器、そしてロンド主題の中で何度も登場する信号のようなフレーズは、彼の「第1番」からの引用である。
 序奏に続き、ロンド主題(A)が様々な楽器に引き継がれ、トライアングルに導かれて第1バイオリンが副主題(B)を奏でる。この部分がブルレスケ(道化芝居)にあたる。可愛らしい旋律だが、フルートによるフラッター(巻き舌のお行儀よくない音)が多用される等、なかなか曲者である。これがABABAと繰り返されると、シンバルの一発でCへ。
 複雑なオーケストレーションが一変し、バイオリンと木管楽器に支えられ、トランペットがターン(回音。ドレドシドのように主要音を上下の音で装飾)の穏やかなフレーズを奏でる。このフレーズは、ワーグナーによる種々のオペラの中で深い愛情表現の象徴として用いられている。他にも、マーラー「第3番」や、実は本作第1楽章の第3主題でも使われていた。
 マーラーは、これまでの交響曲でも中間楽章の場面転換でトランペットに緩やかな旋律を歌わせており、ここでも夢幻の雰囲気が演出される。だが、夢の安らぎも長く続かない。トロンボーンが荒々しく主題を吹き鳴らすと、なだれ込むように曲を終える。
第4楽章 アダージョ きわめて遅く、そしてさらに減速して 変ニ長調
 弦楽合奏中心の楽章。バイオリンの序奏に続き、全弦楽器が第1主題を提示。心に染み入る旋律のほとんどに第3楽章のターンが隠されている。
 前半では管楽器はほとんど表に出てこない。木管楽器の役割もほとんど弦楽器のサポートであるが、例外が2つ。つぶやくように副主題を奏する(コントラ)ファゴットと、勇壮な味付けをするホルンである。
 やがてハープとクラリネットの竪琴風の音に導かれて、副主題をオーボエ、バスクラリネット、イングリッシュホルンの順に歌い継ぐ。そして第1主題が変形されて帰ってくる。金管楽器と打楽器も登場し、この楽章のクライマックスを迎える。トロンボーンのターンに続いてトランペットとホルンがニ長調の和音を鳴らすが、バイオリンに割って入られる。これは第1楽章のリズム動機であり、両端楽章がここで結びつく。
 一瞬の全休止の後、ホルンを中心に音楽は再開するが、しだいに楽器の数が減り、イングリッシュホルンを最後に管楽器が沈黙すると、第2バイオリンが自作「亡き子を偲ぶ歌」の「子供たちは、ちょっと出かけただけなのだ」を奏でる。この旋律は、アダージッシモ(adagissimo 極めて緩やかにの意)と指定された曲の最後の、子供たちが「出かけて行った」天上界を明るく思い、悲しみを紛らわそうとする親心を歌う場面。愛娘を亡くし、自らも長くないと悟りつつ作曲を進めた彼の心境、想像すると胸が締め付けられる。ここまでくると、もはや“旋律”は現れない。断片が浮かんでは消え、変ニ長調の和音で「死に絶えるように」全曲を終える。
 マーラーは楽譜に細かい指示を数多く書き込むのが常であったが、この第4楽章では指示が少なく、練習番号さえない。これは、「第10番」を完成させる時間がもうないと悟った彼が、この最終楽章のすべてを演奏者に委ねようとしたのだと思う。生死について考える場面が多い昨今だが、我々の演奏を通じ、マーラーのこの行動から重要な何かを受け取ってもらえれば、これほど幸いなことはない。
(トランペット 手塚 晋)